概要:教科書展示を見に播磨町の公民館へ。誇りの持てる歴史教育に相応しい教科書にして欲しいものです。
解説)6月29日(月)、先週木曜日・金曜日の研修を終え、久し振りに会社に出勤するも、早々に会社を出て、10時には議会へ。昨日は会派メンバー3人で播磨町の公民館に教科書展示を見に行きました。
[自宅にある教科書の2冊。右の”日本人の誇りを伝える最新日本史”が私が採用したい教科書です]
ご存知でしたか?教科書は現在、高砂市・加古川市・稲美町・播磨町の2市2町で構成する教科書選定の協議会にてどの教科書を採用するか?の第一段階の決定がされ、その後各市町の教育委員会で最終決定するということを。そしてそれは5年に1回であり、実はそれが現在「展示から決定」の数か月の過程にあり、8月頃には最終決定されることを。
昨日の展示会場には、社会や公民の他、国語、数学、理科、化学、家庭科等々多数の科目について、多数の競合出版社の教科書見本が置かれており、中身を見ても事前に何をチェックするか?何に重点を置いて違いを発見するか?を整理しておかないと殆ど違いは判定出来ない様に思いました。(私たち市民、議員には判定の役割はありませんが)
「国家100年の計は教育にあり」と言われる通り、教育は国家の根幹をなす人を育てること、そのもの。それだけにどんな内容で教育がされるのかは非常に重要なのですが、戦後教育の中で、特に歴史について、日本人が誇りを持てる歴史教育をされてきたのか?敗戦国となった日本がその後にどういった力(影響)をうけて、教育が普及したのか?検証の必要があると思っています。
正直、学生時代には受験勉強の為にやっていた歴史であり、誇り云々は全く気にしていなかった上に、明治維新以降の近現代になると3学期の終わりごろで、気合いも入っておらずチンプンカンプン。これでは駄目と数年前に近現代を再度勉強したつもりですが、戦後の歴史についての”正しい知識”が習得出来ているかは疑問。
それでも注意深く見ると、現在採用されている東京書籍の教科書(上の写真の左)よりも、右の明正社の方が誇りを感じる様に思います。
私の理解では、東京書籍は左より、明正社や育鵬社(いくほうしゃ)は中央(から右)、との認識です。
教科書選定の過程を詳細は少し複雑ですのでこの場では割愛させて頂きます。ご容赦ください。
「国家100年の計は教育にあり」、若干”公の精神”が欠落し、個人優先に偏重つつある現在の教育を正す為にも、教科書選定は大切だと思っています。
それでは今日も元気に頑張りましょう!(with smile)