Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

わだかまりの北

2021年12月01日 | 読んでいろいろ思うところが
桜木紫乃「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」
(角川書店)を読む。
カルーセル麻紀をモデルにした
桜木さんの「緋の河」を面白く読んだ流れで、
同じく釧路が舞台の、
キャバレーで働く照明係の青年・章介と、
長期の営業にやってきた手品師の男にストリッパーの女、
そしてブルーボーイの歌手が織りなす人間模様を大いに楽しむ。


博打で身を持ち崩した父親が死に、
その遺骨を母親に送りつけられた章介。
ぼんやりと父親のことを思い出すが、
やはりろくなものではない。
若いのにどこか絶望していて、
喜怒哀楽の感情にフタをしている主人公である。

そんな彼が、
勤めるキャバレーにやってきた芸人たちと
古ぼけた寮で共同生活をするようになり、
酸いも甘いもかみ分けた
彼ら彼女らの根性の入った生き方に、
ほんの少しだけ心を開くというか、
自分の人生を歩むためのきっかけを得る。

芸人たち、特に「師匠」と呼ばれる
ロートル手品師の台詞が重い、というか響く。

父親の葬式に出なかったことに、
後悔はないという章介に対し、師匠はこう返す。

「後悔は——すると、たぶんわずかでも気持ちがいいんじゃないでしょうか。落ち着くというか、落としどころが見えるというか、まあ、とりあえずいいひとになれますね」

また、年の暮れで
今年も終わりだと話を振ると、

「そうですねえ。いろいろあったんでしょうが、振り返るほど遠くもなくて、ちょっと困りますね」

こんな台詞を言える人は、
きっと地獄を見てきた人なんだなと思ったりする。
根拠はないのだけど。

師匠たちと、父親のお骨を
勝手に墓地に埋葬しにいく場面にしみじみする。
どんな者であれ、死んだらちゃんと供養するんだと。
それこそが人がすべきことだと章介は教わるのだ。

そうはいっても、
なかなか感情を発露することのない章介は
そのまま淡々と人生を送り、どうにかこうにか
大人になっていくことが示唆される。
そんな淡々とした物語なんだと思いきや、
最後の最後で感極まる場面が訪れる。なんという結末。
思わず感涙してしまったではないか。桜木さん上手すぎ。
コメント (4)
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