旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大統領選オバマ勝利に、日本は何を学ぶか

2008-11-09 15:17:51 | 政治経済

 

 今回の米大統領選挙で、アメリカ国民はオバマを選んだ。国民が求めたものが、オバマが叫び続けた「変化Change」であったということは、識者、マスコミもほぼ一致するところである。私もそのことを予備選のときからこのブログに書き続けた。(08.6.7付「大統領選挙とアメリカ国民の希求」など)
 では、アメリカ国民は何を変えようとしたのか?
 これも、ブッシュ政権の下で顕著に現れた新自由主義の弊害(格差、貧困、無規制なカジノ金融がもたらした金融危機など)や、外交面における一極強行支配の破綻(先制攻撃論による国際世論無視のイラク戦争など)に対して、国民はそれを「変えよう」とする意思表示をした、と見る観点もほぼ一致した世論であろう。
 アメリカ国民は、現状を「変える」ために、建国以来の課題と言ってもいいであろう人種差別を乗り越えてまで「“変化”の可能性」に掛けたのである。
 いま一番学ぶべきはそのことではないか。日本も新自由主義を持ち込んだ“小泉・竹中路線”で、アメリカと同じような危機にさらされている。
 Changeすべきは日本なのだ!

 ところが、昨日今日のテレビ討論や新聞の議論をみると、「オバマに代わったら保護主義が前面に出てきて、日米貿易摩擦が起こるのではないか?」とか、「中国に目が向いて日本は置き去りにされるのではないか?」とか、相手の挙動におろおろして不安ばかり論じ合っているかに見える。
 なんとも情けない思いがした。オバマはアメリカの大統領に選ばれたのだ。先ず自国を変え、自国をよくするために全力を挙げるであろう。そのためのトバッチリのいくつかは、当然降ってくるだろう。それほどアメリカは大変だろうと思う。
 そのトバッチリにおびえるより、日本は、アメリカ国民がしたように自らを変革し、今後の進むべき道を自ら定めることに注力すべきではないか? それがなければトバッチリを処理することも出来ないだろうし、協力関係を求められてもアメリカの役にも立つまい。

 私を含め私たちの周囲には、「そんなことを言っても、簡単には変わらない・・・」という言葉がすぐに出てくる。
 それにしてもオバマが勝利宣言を、「出来ない、と言う者がいたら、不動の信念を持って答えるのだ。『わたしたちは出来る』と」と結んだとき、何十万の参集者がそれに応えて「そうだ、わたしたちはできる! YesWe can!」と唱和を繰り返す映像を見て、私は改めてアメリカ民主主義の底力を見る思いがした。
                             


アメリカ・・・いい国になって欲しい

2008-11-08 10:50:39 | 政治経済

 

 大統領選に勝利したオバマは、一貫して“変化”を訴え続けた。それが“経験”を強調した相手候補――予備選のヒラリー・クリントン、本選のジョン・マケインに勝った要の言葉となった。アメリカ国民が求めていたものは、彼らを覆う閉塞感からの開放、すなわち変化であり、旧来の政治にまみれた経験はむしろ邪魔であったのかもしれない。
 そのようなことを話していたら、娘が、「なんとしても、アメリカはいい国になって欲しいなあ」とつぶやいた。
 今のアメリカは“よい国”ではないのだ。アメリカ国民は、「悪い国をよくしよう」と願っているのだ。

 ところで“よい国”とはどんな国だろう。
 戦後の私たちにとって、アメリカは憧れの国であった。豊かで、文化的で、自由と民主主義の花咲く国であった。ただ、ヴェトナム戦争などに見られる武力をたてにした覇権主義が、常に気なってはいたが・・・。
 私が最初にアメリカに行ったのは1988年であった。そのころ日本は経済的にはかなり追いついていたが、それでもアメリカに“豊かさ”を感じ、余暇を含めた“文化”的生活や、日常生活に定着した“民主主義”などに学ぶことが多かった。
 しかし、ちょうどその時期から進められた新自由仕儀経済は、アメリカを(というより、その影響下にある日本をはじめとした各国をも)、弱肉強食の手放し競争社会、一握りの富裕層と膨大な貧困層を生む格差社会に導き、またイラク戦争における先制攻撃論などに見られる傲慢さも加わって、アメリカを悪い国、危険な国にしたのではないか。
 
アメリカ国民は、いま正に、「アメリカをよい国に変えよう」と変化を求めたのであろう。

 今のアメリカは、決してよい国ではないと率直に思う。
「なんとしても、いい国になって欲しいなあ」と私も願う。
                             


オバマの勝利宣言に感動

2008-11-07 14:39:16 | 政治経済

 

 アメリカ大統領選挙でオバマが勝った。
 議席数では圧勝であるが、得票率では6ポイント差であるので、報じられているほどの大差は無いと思うが、米国民が8年間のブッシュ政治にNOを突きつけ、閉塞感に覆われる中で「変化」を求める明瞭な意思表示をしたことは確かであろう。
 私は正直なところホッとしている。世論調査でオバマが先行してきたが、アメリカ人は未だ黒人大統領を選ぶことはしないのではないか、という不安を持ち続けていたからだ。
 しかし、アメリカ国民が直面している危機(戦争、貧困、環境、医療問題などなど)は、人種問題というとてつもなく大きな歴史的障壁を一気に乗り越えさせるほど厳しいのであったのだ、と私は思う。
 そして、その危機に立ち向かうにふさわしい人物がオバマであった。
 彼は、この危機の解決に最もふさわしいかどうかは分からない。しかし、この危機に立ち向かう人物として--しかもアメリカ人のあらゆる人種、階層を可能な限り統一して立ち向かう人物として、ふさわしかったのであろう。

 そのことを示す勝利宣言演説を、私は感動をもって聞いた。勝利宣言が行われた地元シカゴのグラントパークの会場は7万を超える支持者で埋まり、会場に入れない数十万人が周辺にあふれたと伝えられる。
 彼は、選挙中も言い続けたことをそこでも語った。それは対立することではなく統一すること、別々の集まりではなく「一つのアメリカ」だということであった。

 「今夜の答えは・・(中略)・・老いも若きも、共和党支持者も民主党支持者も、黒人も白人も、同性愛者もそうでない人も、健常者も障害者も、すべてが出した答えだ。我々はアメリカ合衆国(の一員)なのだ。」
 「今夜我々は、この国の真の力は武力ではなく、民主主義、自由、機会と不屈の希望に由来することを証明した。」(6日付毎日新聞7面より)
 そして「変化」は必ずできると、あの有名な合言葉で締めくくった。

  「そうだ、私たちはできる。(Yes WE can)

 「そうだ・・・」というのが何ともいい。変化につながる躍動感がある。
                            

 
 


地域ブランド化した九州焼酎の素晴らしさ

2008-11-05 16:08:43 | 

 

 蒸留技術を手にした九州の各県人は、それぞれの地の産物を原料として独特の焼酎を作り上げていった(113日付ブログ)。
 つまり米麹に水と酵母を加えて発酵させた一次もろみに、芋、米、麦、そば、黒糖などを加えて二次もろみを造り、それを蒸留して芋焼酎(鹿児島)、米焼酎(熊本)、麦焼酎(大分、壱岐)、そば焼酎(宮崎)、黒糖焼酎(奄美)などが生まれたのである。

 しかもそれを、その他の添加物を加えず、かつ単式蒸留により素材の味・風味を生かした、いわゆる「本格焼酎」としてブランド化していったのである。そのいきさつを、1031日付日経新聞第2部「本格焼酎・泡盛の日」3面は、次のように書いている

 
「サツマイモを主原料にした本格芋焼酎は、多くが鹿児島県でつくられている。なかでも“薩摩焼酎”と名乗れるのは、鹿児島県産のサツマイモと水を使用し、県内(奄美を除く)で製造から容器詰めまでされた本格焼酎のみ。“薩摩焼酎”は、地域ブランドとして、世界に認められている。(注)

 (注)世界貿易機関(WTO)のTRIPS協定により、
      国税庁から「地理的(原産
地)表示」の指定が認めら
   れ、その商品の原産地を特定する表示。世界的には

   インの「ボルドー」やブランデーの「コニャック」な
   どがあり、本格焼酎で
は「薩摩焼酎」のほかに「壱岐
   焼酎」(長崎県壱岐市)、「球磨焼酎」(熊本県人

   ・球磨地方)、「琉球泡盛」(沖縄県)がある。」

 素晴らしいことである。九州のブランド焼酎は、まさに世界に誇りうる酒といえよう。
 温暖で清酒つくりに適さず、もろみの腐敗を防ぐ中でそのまま蒸留する蒸留酒つくりに叡智を傾けながら、鹿児島などは火山灰地でそもそも米に恵まれず、その代わりに天の授けか良質な芋が出来ることに着目し、芋を主原料としたブランド焼酎をつくりり上げたのである。

 近時の焼酎ブームの下地には、各地の、このような世界に通じる酒をつくる知恵と努力があったのである。
                            


泡盛・焼酎にみる日本人の智恵

2008-11-03 17:01:42 | 

 

 一日(ついたち)を「焼酎・泡盛の日」(11月1日付ブログご参照)として始まる今月は、さしずめ「泡盛・焼酎月間」であろう。だから、焼酎について少し勉強しておこう。

 日本に蒸留法が伝わってきたのは500~600年前のことらしい。先ずシャム(タイ)などと海洋貿易を行っていた沖縄(琉球王国)に、そこから蒸留酒が持ち込まれる。その蒸留法により沖縄人が「泡盛」を完成させたのが1470年ごろと言われている。(10月31日付日経新聞第二部9面)
 泡盛は、「蒸した米に泡盛特有の麹菌である黒麹菌を加え約40時間かけて米麹を造り、これに水と酵母を加えて10~14日間醗酵させ、そのまま蒸留する。従って泡盛は米麹だけを原料とした焼酎といえる。」(日本酒造組合中央会『本格焼酎&泡盛小百科』18頁)
 つまり泡盛は、米麹だけを原料とした全麹仕込みの焼酎である。米麹のもとは米であるので米焼酎には違いないが、黒麹菌と全麹仕込みにより全く別物を生み出している。特に黒麹菌については、なぜ使用されたのかいまだ分かってないらしいが、酸の強い黒麹菌は、雑菌の繁殖を防ぎ、南国の酒つくりに適していたのであろう。

 この泡盛が日本に渡り、日本の蒸留酒(焼酎)造りが始まるのが500年位前からのようだ。それは先ず鹿児島に上陸し、そこから九州全土を経て全国に広がる過程で、様々な日本人の智恵が働き、日本的な蒸留酒を生みながら焼酎文化に花を咲かせる。
 泡盛を含め日本の焼酎は、先ず米麹に水と酵母を加え醗酵させてもろみを造る「一次仕込み」に始まる。その一次もろみをそのまま蒸留すれば、前述したように泡盛になるが、鹿児島県人はそれに土地の産物であるサツマイモを加え二次仕込みを行い、出来たもろみを蒸留して「いも焼酎」を造った。
 熊本県人は、米が採れるので二次仕込みに米を使い「米焼酎」を造り、宮崎県人は、鹿児島県境では採れるいもで「いも焼酎、そばの採れる高千穂、五ヶ瀬地方ではそばを仕込み「そば焼酎」を造った。
 大分県では麦が採れるので二次仕込みに麦を使い「麦焼酎」、また長崎県の壱岐の島で造られる「麦焼酎」も有名だ。

 このように、外部から持ちもまれたものを、単に真似るだけでなく、その土地の産物を加えて新たな食品を造り上げたところに、日本人の智恵を感じるのである。そしてそれは、当然のことながら、その土地の食べ物にも合致したに違いない。
                            


今日は「本格焼酎・泡盛の日」

2008-11-01 14:50:43 | 

 

 今日11月1日は「本格焼酎・泡盛の日」である。やや下火になったと言われながらも、焼酎ブームが長く続いているが、今日がそのような日であることを何人の日本人が知っているのだろうか?
 一月前の10月1日は「日本酒の日」であったが、実は10月5日に開いた「純米酒フェスティバル」で参加者1300人を対象にアンケートを実施したところ(回答者585人)、「日本酒の日」を知っていると答えたのは実に37.8%に過ぎなかった。日本酒を最も愛する人たちの集まりの中でも、日本酒の日を知っている人は4割に満たないのである。淋しい思いをしたものだが、焼酎の日はどうだろう。

 日本酒の日が定められたのは昭和53(1978)年であるから既に30年前である。何とか日本酒離れを防ごうと、新酒造りの始まる10月と、酒の字の「酉(とり)」が十二支の10番目であることにも因んで10月1日を選んだとされている。
 「本格焼酎の日」はそれより9年遅れて昭和62(1987)年、本格焼酎の製造業者の会で定められ、日本酒造組合中央会により実施された。それに、平成元(1989)年に制定された「泡盛の日」が合流し、現在では「本格焼酎・泡盛の日」として実施されているようだ。
 つまり、焼酎ブームを主導した本格焼酎(乙類焼酎・・・平成18年の酒税法改正で「単式蒸留焼酎」と分類)が急速に伸びてきた昭和60年代初頭に呼応した制定であったのであろう。
 それにしても、この日を単に「焼酎の日」でなく「本格・・・」と呼ばなければならないところに悔しさがにじむ。つまり本格ではない「連続式蒸留焼酎」(従来、こともあろうに甲類焼酎と呼ばれていた)が別に存在するためである。われわれ清酒分野でも、本物の酒を「純米酒」とわざわざ断らなければならない。本来清酒は純米酒であるべきなので、純米酒は単に「日本酒」でいいはずであるが、混ぜ物酒がいまだ横行しているので区別するため中身を強調しなければならない。

 しかし、純米酒は全日本酒の中で15%弱に過ぎないが、本格焼酎(単式蒸留焼酎)は平成10年に連続式蒸留焼酎を上回り、今では60%に至っているので立派である。
 純米酒はもう一つ頑張らなければならないと言うことか・・・。
                             


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