旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

鰯(いわし)の頭

2007-02-02 16:49:43 | 

 

 「鰯の頭も信心から」という諺があるが、それとはまったく関係ない話。
 この諺は「鰯の頭のようなつまらないものでも信心していれば尊いものに見えてくる」という意味であろうから、鰯の頭をつまらないものの典型としているが、こちらは、鰯の頭が大変値打ちがあった話である。

 私のワイフは長いことコーラスをやっており、昨年5月、某混声合唱団のお誘いを受けて「ポルトガル・スペイン合唱ツアー」に出かけた。ポルトガルのリスボンとスペインのグラナダで、地元合唱団と合唱の交流をやったそうだが、その後の交流会などは夜中までとなり、翌朝早く次の都市に向かうなどハードスケジュールでかなり疲れて帰ってきた。しかし、それだけ面白い土産話も多かった。
 リスボンでの交流会では、ポルトガル自慢の鰯料理がたくさん出たそうだ。料理といってもオリーブオイルで炒めた程度の丸ごとの鰯が大皿に山積みされて出る。現地の人はそれをナイフとフォークで丁寧に身をとって食べる。わが日本人は、日本でやっているように手づかみでかぶりつき、頭と骨をきれいに残す。中でもK指揮者は、大好物の鰯を頭からむしゃむしゃ食べて、何の残骸も残さずかなりの数を食べたという。
 ところが・・・・・・である。
 勘定を取りに来たウェイトレスは、各人の皿に残っている鰯の頭の数を数え、それに単価を掛けて代金を請求してきた。それがポルトガルのシステムらしい。当然、K指揮者の代金はゼロである。もっとも大量に食べたにもかかわらず、である。(さすがに几帳面な指揮者、生真面目な日本人K氏は、相応の数を自己申告してお代を払ったらしいが)
 私も、ししゃもはもちろん目ざしなどは、頭とはらわたの苦いところが一番好きだ。さざえなども尻尾の青黒い苦いところだけを食べたりする。
 私がその場にいて、頭だけを食べ身の部分を残していたら、ウェイトレスは無料にしてくれたであろうか?
                           


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