桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

義父の携帯

2013-08-25 | Weblog
義父が他界して1年余り。携帯は、義母が使用すれば良いと契約したままにしておいたが、殆ど使わないからと、連れ合いか「解約して」と持って来た。
解約は連れ合いがやるのだろうと思っていたらば、使用料金を払っている俺の任務だ、と言われてドコモショップに行った。
義父の携帯の使用状況は、全く知らないが、どんなふうに使っているのかな、と、幾つかのボタンを押して見た。
88歳になっていた義父の物だから、当然、ラクラクホンと言われる物だが、ボタンを押すだけて相手につながる、1番を押したらば、当然だが、娘である連れ合いの名前が出た。2番は誰?と押したらば、孫になる連れ合いの娘の名前だった。最後の3番は?と押したらば、俺の名前が出た。娘、孫娘と来れば、最後は、何時も機械に乗って農作業をする連れ合いの息子、孫息子だろうと思ったのに、俺の名前が出て驚いた。と同時に、それほどに俺を身近に感じていてくれたのか!と思ったらば、胸が熱くなり、涙が湧いて来たなぁ。

園部の夜

2013-08-25 | Weblog
八木町での懇親会後、園部に戻り、西岡さんの連れ合い、義男さんの馴染みのカラオケスナックへ行った。義男さんとは「桜井は兄弟だ!」と言って頂く仲だが、今まで一緒にカラオケをしたことがない。「逃げとんのやろ!」と、何度か言われたが、何時も用事があって行けなかった。
昨夜は、やっと実現した。6名で行った店は、休日のせいか、ほぼ満席。しかも、店主の遣り方が凝っていて、我々には機械を使わせず、なかなか唄う順番にならなかったし、曲のキーが注文と違ったりで、思うように唄えなかったが、義男さんの演歌は、なかなかのモノだった。
園部の夜も愉しかったなぁ。

京都・園部

2013-08-25 | Weblog






昨日は、救援会ロ丹支部の25年記念集会。そこに招かれて話をして来た。
会場は、南丹市。旧園部町の国際交流会館。自民党の実力者だった野中弘務氏の地元だけに豪華な城を模した会場に、用意した座席を増す満員の成功だった。
ロ丹支部の闘いの中心は、野中弘務氏の弟が経営していた特別老人ホームでの「不明金」事件で、不正として押し付けられた冤罪と闘う西岡廣子さんだ。3000万の不正金を、最終的には98880円の横領着服として有罪にされた西岡さんだが、その誤判に負けず、今も雪冤したいと闘い続けたている。
それを応援する集会でもあったが、1部が野田淳子さんの歌。2部が、俺の話。30分と短い時間だったが、何時も通りに話した。
その後の懇親会は17名で八木町へ移動。下流が桂川になる川岸にある料亭で、美味い料理と素晴らしい景色を眺めながらの交流だった。
川面に川岸の桜などの樹木が美しく映える、実に美しい風景だった。

残念ながら!

2013-08-24 | Weblog
自民党は嫌い。いや大嫌いだね。
自民党好きがいるのは理解しても、なぜ好きになれるのか、俺は理解出来ないですなあ。
確かに、子供のころは好きだった。自由で民主的な政党だと思っていたし、頭から抑えつけられたり、全員一致なんて気持ち悪いと思っていたので、宗教団体、共産党などは嫌いだった。稲田朋美を書いて誤解されたみたいだけど、稲田は最悪でしょ。嫌いと言うよりも、高市早苗とか、稲田、野田聖子辺りは、気持ち悪い!!って感覚が正解かも知れない。生理的に嫌い、ね。
今の社会は、間違いなく自民党政治が作って来たけど、今や官僚の思うままに操られるばかり。政治業者はいても政治家はいないよね、余り。
勘違いさんは若者のようだけど、国家の1番、重要な仕事は、なんだと思うかなあ。
明日の日本を託す若者を育てることに尽きる、と俺は思ってる。今の日本、若者を育ててる?
若者が金儲けの材料になってるだけじゃない。
この状況を乗り切る若者だけいれば良い!じゃあ、国家としての日本は衰退するだけだろう。
何でも金儲けにしてしまい、1部の金持ちだけの利益政策しか出来ない自民党。日本会社主義国家にした政党だもの好きになれない。河野太郎さん辺りが総裁に選ばれるならば、多少は好きになれるかも知れないけどね。

新警視庁捜査1課長

2013-08-24 | Weblog
青木樹哉と言う人が任命されて、新聞に着任のコメントがあった。
「証言を引き出すためには、何度でも会いに行く」その「粘りと執念が」事件を解決する刑事魂と語ったらしい。
粘りと執念ね。そこに勘を加えて現代刑事の出来上がりかな。
新警視庁捜査1課長にも、証拠の重要性を語る言葉ななくて、こりゃあダメだ!と思うねえ。
確かに、粘りも執念も大事だろう。しかし、真に大事なのは証拠に基づいた、粘りと執念だろう。この新課長氏も、「粘りと執念で証言を引き出す」と言うが、言葉は言葉でしかない。
敏腕だろう東京地検特捜部の田代検事ですら、3日前と3ヶ月前を混同して調書を作成したと言うではないか。不確かな人間の記憶は、「粘りと執念」が誤った証言に帰る畏れは抱かないのだろうか。
東電OL殺人事件で犯人にされたゴビンダさんが無罪と判り始めたとき、堂々とテレビで「犯人に間違いない」と語った、当時の捜査指揮官・警視庁捜査1課長の平田は「勘です、勘は大事なんです」と語ったが、この程度が警視庁の幹部の認識なのだろう。
同じ新聞には、福井県警の刑事が暴力団員に捜査情報を漏らした事件が掲載されていた。
この刑事は「情報をもらうために、その関係を維持したくて漏らした」と語る。岡っ引きが社会の犯罪組織と繋がり、その情報で犯罪を暴く時代劇があるけど、幹部のコメントと言い、実際に捜査する刑事の行動と言い、江戸時代と変わらないのが警察なのだろう。
社会正義を守りたい!!と、勇んで警察官になった、出世に無縁な多くの警察官は、この事態を、どう見ているなだろうか。

稲田朋美先生

2013-08-23 | Weblog

自民党の女性の先生方は、男性よりも勇ましい人が多い。

稲田先生は、弁護士で法務委員会にいたが、免田栄さんの年金問題では、強固に反対していた。大臣になったお蔭で、満足ではないが、免田さんいも年金が貰える道となる法案が作られた。

全く、碌な者じゃないと、この法曹家でもある女を見ていたが、たまには良いことを言う。

漫画「裸足のゲン」の閲覧を制限した問題で、その制限には異を唱えたねえ。

これくらい冤罪者の痛みにも敏感ならば嬉しいけどねえ。

 

 

 


へへぇ!

2013-08-22 | Weblog
中国は、人権など、全く考慮しない共産主義風独裁国家だが、薄何とか氏の不正事件を裁く裁判は、逐一ネットで公開するらしい。
へぇ!だよね。
日本の裁判を変えるには、公開を原則とする、その原則性を徹底させて、どこでも、誰もが自由に裁判の状況を見られるようにすべきだと思う。法廷の中で行われることが、そこだけにいる人しか判らないために、検察は非科学的なことを平然と行うし、裁判官も事実を無視した判断を行ったりする。
人権野蛮国家の中国にも、日本より進んだところもあると感心したなぁ。

楽しい論争

2013-08-20 | Weblog
「言っちゃった」さんとの論争は、いろんなな人から反響があったけど、白を黒と言い張る検察の理不尽を体験させられ続ける俺には、この「言っちゃった」さんの方が、遥かに誠実だと感じる。
論争は思想的な部分があっての相違。どっちが正しいとか間違いとか、決めつけらない問題だ。
検察なんて事実が明らかなのに、 それに抵抗するからね。頭は良い連中なんだけど、まるっきり馬鹿と同じだ。本当に真面目に相手をするのが馬鹿らしくなるが、この人は違う。
俺は顔も立場も明らかにして書くが、この人は匿名だ。一致しないだろう思想的な違いを罵声にすることも可能なのに、理屈的な反論をするだけ。それなりに誠実な人だと俺は思っている。
何しろ、自分が気に入らないと、すぐに殺すと言ったり、切れて投げ遣りになる人を知る俺は、こうした冷静な論争が出来る人を信頼出来ると思うんだよね。
冤罪に触れたことを書く方もあったけど、長く無実を理解されずに犯人と思われ続けた俺は、人様に誤解されることは気にならない。人が何と言おうが、無実は無実、犯人は犯人だ。
もし神がいて、俺を60点と判断しているならば、人が0点と言っても60点。2百点と言ってくれたとしても60点。変わらないからなぁ。そんな想いを持っているせいか、何を言われても気にならない。
いいのか、悪いのか!

なかなか言いますねえ

2013-08-19 | Weblog

「ああ言っちゃった」さん、あなたの理屈は素晴らしい!けど、事実経過が違っていない?

あなたの言う通り、その日はどのような事情であれ、第二次大戦で亡くなられた人の想いに心寄せる日、俺は、その日を、いわゆる「終戦」ではなく、馬鹿な指導者と熱気に浮かされた時代が生んだ戦争の敗戦日として、忘れないでいたいと思うだけのこと。だから誰が「終戦記念日」と言うおうが、そんなことは構わない。「言っちゃったさん」が、「敗戦記念日だ」と書いたらば、「それは終戦祈念日、勉強を」と言うので、俺が、あの戦争を引き起こした思想を引き継ぐ人々の思惑に乗った言葉だと、敗戦記念日と思うところを書いたのだが、違っていようか。

日本人としては認めたくないけども、率直に敗戦の事実を認めて、「敗戦記念日」として、戦没者(国内での死者も含む全戦死者)の霊に平和を誓う日にすべきだろうと思っているだけ。

俺が「終戦記念日」と書いたのは、あなたが『終戦の日(終戦祈念日)を敗戦記念日と言い換えて判ったような顔をする人間』と書いたので、その反論で「終戦記念日」と短く書いたので誤解されたかな。 

俺の体験した冤罪と、この問題とは違うんじゃないかなあ。この件に関して、自分だけが正しいとは思っていない。書いてもいない。

俺が反政府、反権力であることは、あなたの言うことが正しい。大嫌いだからねえ、政府と権力とかは。こんな奴らの言うことは、絶対に信じないとも思っている。それに俺は満足に学校へも行っていない無学。間違いも多いよね。この前も連れ合いと、「萱と葦の違い」を論争して、勘違いしていた俺は「萱も葦も同じだ」と押し切ったけど。事実は違ってね。嫌味たっぷりに反論されて参ったことがあった。

だから「言っちゃったさん」の知るとこがあれば、また、ぜひ教えてください。

 


また言われちったよ

2013-08-19 | Weblog
終戦祈念日は敗戦記念日とは違う、ミズリー艦上は9月2日、鈴木善幸内閣が終戦を祈念する日と閣議決定してる、と。
確かに、第二次大戦についての記念日は、世界各国で違うね。ミズリー艦上で日本が降伏文章に署名した9月2日が多いようだけど、ロシアは9月3日だったり、韓国は9月15日だったかな?
日本が8月15日なのは、天皇が負けたと宣言した日だからだよね。
その程度は知ってるつもりだけど、俺は、誰が決めたからそうだ!とか、この人が言うからそうだ!と、鵜呑みにしないんだ。事実、実態で判断するんだ。それは内閣が決定しようが、しまいが同じだね。
自民党政権が敗戦記念日ではない、終戦祈念日だと決めたから、そうなるの?
書き込みにもあったけど、海岸都市は艦砲射撃でボロボロにやられ、空爆は好き勝手にやられ、原爆も落とされ、沢山の国民が殺された。やられ放題の負けが、何が哀しくて内閣は終戦祈念日だなどと言うか!
簡単だよ。自民党の先輩たちの始めた戦争だからね。ミズリー艦上の日付なんて、そんなのは事務的な期日に過ぎない。
終戦祈念日などという実態を隠した言葉で、俺は、あの戦争を思いたくない。天皇の名で侵略戦争に駆り出されて犬死にした人々と、国内で爆撃や原爆で殺された国民の無念は、無謀な戦争を起こした政治家や軍人を忘れず、再び同じ過ちを許さない敗戦の日として心に刻みたいと思うだけだ。あなたが、内閣が決定してるから終戦祈念日だと思うのは勝手だし、好きに思えば良いですね。その思いは尊重するつもりだけど、敗戦の実態を誤魔化すような言葉のレトリックを、俺には押し付けないで貰いたいだけ。
判って貰えますかねぇ?