そういう署名サイトがある。
若い女性が立ち上げて、俺も、近いうちに、馬鹿な警察と検察を真人間に立ち直らせるために、その署名サイトを利用するが、面白い情報がある。
原爆、戦争の悲惨を描いた「裸足のゲン」という漫画を、誰か知らないけど、見せるなという申し入れがあり、見せないように隠すことにした、島根県の問題がある。
チェンジサイトには、この問題でも、見せろ、と言う人と、見せるな、と言う人の、両方の署名を集める訴えがあるのだ。
悲惨な原爆の姿は子供に刺激的、見せるな!言う気持ちは判るけど、この人は「親日日本人」としか、自分のことを書いていない。
親日日本人!?
自分の本名も名乗れないで、サイトに書いてある、訳の判らない反原爆。
こんな奴らがネット社会で語る正義、恐いねぇ。
無人攻撃機、そんなニュースがあったとき、俺は無人攻撃機は政治家と同じだと思った。
我は日本!我こそ日本!!日本を守る騎士!
そんな議論で戦争を始めるのは政治家だが、こいつら、口は巧いが、絶対に戦争には行かない。
無人攻撃機と同じ。
無人攻撃機は人を殺すんだよ。殺されるのは、俺なんだよ、あんたなんだよ。
自分の名前も語れない署名サイトも、無人攻撃機、自分には被害がない戦争を始める政治家と同じ。
あぁ嫌だ、いやだ。
巨人は、好不調の波はあるものの順調に戦いを進めて首位を走っている。
圧倒的な戦力を思えば、当然の結果だとは言え、それをチームとして纏める原監督の手腕は、素直に認める必要があるだろう。でも、俺には不満がある。若手の育て方、使い方だ。
原監督は、良く1、2軍の交換をして、1軍に上げた若手を試合で使う。これは良い。2軍にいる選手たちも、次は俺だ!と、晴れ舞台への思いが強まり、夢を描いて練習し、試合をするだろうからだ。
ただ、使って好成績を残しても、調子が下降すると、また簡単に2軍に下げてしまうのは、どうなのだろうか。
日本ハムファイターズの4番、中田翔は、今や日本を代表するスラッガーになったが、そうした中田に育てたのは、不調で打てなくても4番打者として起用し続けた、栗山監督の我慢と忍耐があったからだ。
坂本や長野のように、殆ど不調なく成績を残す者しか中軸に育てられないでは、残念だが、真に監督としての力量があるとは言えないだろうと、俺は思う。
資質を見抜いて抜擢し、忍耐と我慢で原野球の推進役になる選手を育てたとき、初めて原監督は讃えるに相応しい監督になるだろうと思うが、果たして出来るものやら!
圧倒的な戦力を思えば、当然の結果だとは言え、それをチームとして纏める原監督の手腕は、素直に認める必要があるだろう。でも、俺には不満がある。若手の育て方、使い方だ。
原監督は、良く1、2軍の交換をして、1軍に上げた若手を試合で使う。これは良い。2軍にいる選手たちも、次は俺だ!と、晴れ舞台への思いが強まり、夢を描いて練習し、試合をするだろうからだ。
ただ、使って好成績を残しても、調子が下降すると、また簡単に2軍に下げてしまうのは、どうなのだろうか。
日本ハムファイターズの4番、中田翔は、今や日本を代表するスラッガーになったが、そうした中田に育てたのは、不調で打てなくても4番打者として起用し続けた、栗山監督の我慢と忍耐があったからだ。
坂本や長野のように、殆ど不調なく成績を残す者しか中軸に育てられないでは、残念だが、真に監督としての力量があるとは言えないだろうと、俺は思う。
資質を見抜いて抜擢し、忍耐と我慢で原野球の推進役になる選手を育てたとき、初めて原監督は讃えるに相応しい監督になるだろうと思うが、果たして出来るものやら!
義父が他界して1年余り。携帯は、義母が使用すれば良いと契約したままにしておいたが、殆ど使わないからと、連れ合いか「解約して」と持って来た。
解約は連れ合いがやるのだろうと思っていたらば、使用料金を払っている俺の任務だ、と言われてドコモショップに行った。
義父の携帯の使用状況は、全く知らないが、どんなふうに使っているのかな、と、幾つかのボタンを押して見た。
88歳になっていた義父の物だから、当然、ラクラクホンと言われる物だが、ボタンを押すだけて相手につながる、1番を押したらば、当然だが、娘である連れ合いの名前が出た。2番は誰?と押したらば、孫になる連れ合いの娘の名前だった。最後の3番は?と押したらば、俺の名前が出た。娘、孫娘と来れば、最後は、何時も機械に乗って農作業をする連れ合いの息子、孫息子だろうと思ったのに、俺の名前が出て驚いた。と同時に、それほどに俺を身近に感じていてくれたのか!と思ったらば、胸が熱くなり、涙が湧いて来たなぁ。
解約は連れ合いがやるのだろうと思っていたらば、使用料金を払っている俺の任務だ、と言われてドコモショップに行った。
義父の携帯の使用状況は、全く知らないが、どんなふうに使っているのかな、と、幾つかのボタンを押して見た。
88歳になっていた義父の物だから、当然、ラクラクホンと言われる物だが、ボタンを押すだけて相手につながる、1番を押したらば、当然だが、娘である連れ合いの名前が出た。2番は誰?と押したらば、孫になる連れ合いの娘の名前だった。最後の3番は?と押したらば、俺の名前が出た。娘、孫娘と来れば、最後は、何時も機械に乗って農作業をする連れ合いの息子、孫息子だろうと思ったのに、俺の名前が出て驚いた。と同時に、それほどに俺を身近に感じていてくれたのか!と思ったらば、胸が熱くなり、涙が湧いて来たなぁ。
八木町での懇親会後、園部に戻り、西岡さんの連れ合い、義男さんの馴染みのカラオケスナックへ行った。義男さんとは「桜井は兄弟だ!」と言って頂く仲だが、今まで一緒にカラオケをしたことがない。「逃げとんのやろ!」と、何度か言われたが、何時も用事があって行けなかった。
昨夜は、やっと実現した。6名で行った店は、休日のせいか、ほぼ満席。しかも、店主の遣り方が凝っていて、我々には機械を使わせず、なかなか唄う順番にならなかったし、曲のキーが注文と違ったりで、思うように唄えなかったが、義男さんの演歌は、なかなかのモノだった。
園部の夜も愉しかったなぁ。
昨夜は、やっと実現した。6名で行った店は、休日のせいか、ほぼ満席。しかも、店主の遣り方が凝っていて、我々には機械を使わせず、なかなか唄う順番にならなかったし、曲のキーが注文と違ったりで、思うように唄えなかったが、義男さんの演歌は、なかなかのモノだった。
園部の夜も愉しかったなぁ。
昨日は、救援会ロ丹支部の25年記念集会。そこに招かれて話をして来た。
会場は、南丹市。旧園部町の国際交流会館。自民党の実力者だった野中弘務氏の地元だけに豪華な城を模した会場に、用意した座席を増す満員の成功だった。
ロ丹支部の闘いの中心は、野中弘務氏の弟が経営していた特別老人ホームでの「不明金」事件で、不正として押し付けられた冤罪と闘う西岡廣子さんだ。3000万の不正金を、最終的には98880円の横領着服として有罪にされた西岡さんだが、その誤判に負けず、今も雪冤したいと闘い続けたている。
それを応援する集会でもあったが、1部が野田淳子さんの歌。2部が、俺の話。30分と短い時間だったが、何時も通りに話した。
その後の懇親会は17名で八木町へ移動。下流が桂川になる川岸にある料亭で、美味い料理と素晴らしい景色を眺めながらの交流だった。
川面に川岸の桜などの樹木が美しく映える、実に美しい風景だった。