「ああ言っちゃった」さん、あなたの理屈は素晴らしい!けど、事実経過が違っていない?
あなたの言う通り、その日はどのような事情であれ、第二次大戦で亡くなられた人の想いに心寄せる日、俺は、その日を、いわゆる「終戦」ではなく、馬鹿な指導者と熱気に浮かされた時代が生んだ戦争の敗戦日として、忘れないでいたいと思うだけのこと。だから誰が「終戦記念日」と言うおうが、そんなことは構わない。「言っちゃったさん」が、「敗戦記念日だ」と書いたらば、「それは終戦祈念日、勉強を」と言うので、俺が、あの戦争を引き起こした思想を引き継ぐ人々の思惑に乗った言葉だと、敗戦記念日と思うところを書いたのだが、違っていようか。
日本人としては認めたくないけども、率直に敗戦の事実を認めて、「敗戦記念日」として、戦没者(国内での死者も含む全戦死者)の霊に平和を誓う日にすべきだろうと思っているだけ。
俺が「終戦記念日」と書いたのは、あなたが『終戦の日(終戦祈念日)を敗戦記念日と言い換えて判ったような顔をする人間』と書いたので、その反論で「終戦記念日」と短く書いたので誤解されたかな。
俺の体験した冤罪と、この問題とは違うんじゃないかなあ。この件に関して、自分だけが正しいとは思っていない。書いてもいない。
俺が反政府、反権力であることは、あなたの言うことが正しい。大嫌いだからねえ、政府と権力とかは。こんな奴らの言うことは、絶対に信じないとも思っている。それに俺は満足に学校へも行っていない無学。間違いも多いよね。この前も連れ合いと、「萱と葦の違い」を論争して、勘違いしていた俺は「萱も葦も同じだ」と押し切ったけど。事実は違ってね。嫌味たっぷりに反論されて参ったことがあった。
だから「言っちゃったさん」の知るとこがあれば、また、ぜひ教えてください。