昨日は地区、中田切のお祭りだった。
昔は、地区の全員が宿と呼ばれる家に集まり、3日間、朝から飲んで豊作を祈り、願う神事をこなすシキタリだった。しかし、専業農家は減り、勤め人が大半となっては、そのシキタリも維持出来なくなり、今では1日のみの行事で、稲荷神社に幟を立て、神事を行うだけになった。
昨日は雨。午前中に立て、夕方には撤去する幟ゆえ、それも中止になり、農家の神事的な稲荷祭りも先細り。やがては廃止になりそうな感じだ。
中田切地区は、その中が上坪、中坪、下坪と区切られ、家屋数は50軒に満たない小さな地区だ。各坪ごとにも宿が持ち回りで決められて、年に一度の懇親的な行事として存在した稲荷祭りだが、宿になった家や女性の負担が大きすぎるとの声が上がり、我が中坪は廃止になり、それからは参加者も年々に減り、今年は19軒中、10軒しか参加しなかった。
祭り好きの俺、一度は稲荷祭りの宿も経験したかったが、本当は今年だったらしくて、宿主が造るらしい、中坪が守る庚信塚に飾るしめ縄編みをした。
時代は変わり、古いものは消えて行くしかないのかも。
昔は、地区の全員が宿と呼ばれる家に集まり、3日間、朝から飲んで豊作を祈り、願う神事をこなすシキタリだった。しかし、専業農家は減り、勤め人が大半となっては、そのシキタリも維持出来なくなり、今では1日のみの行事で、稲荷神社に幟を立て、神事を行うだけになった。
昨日は雨。午前中に立て、夕方には撤去する幟ゆえ、それも中止になり、農家の神事的な稲荷祭りも先細り。やがては廃止になりそうな感じだ。
中田切地区は、その中が上坪、中坪、下坪と区切られ、家屋数は50軒に満たない小さな地区だ。各坪ごとにも宿が持ち回りで決められて、年に一度の懇親的な行事として存在した稲荷祭りだが、宿になった家や女性の負担が大きすぎるとの声が上がり、我が中坪は廃止になり、それからは参加者も年々に減り、今年は19軒中、10軒しか参加しなかった。
祭り好きの俺、一度は稲荷祭りの宿も経験したかったが、本当は今年だったらしくて、宿主が造るらしい、中坪が守る庚信塚に飾るしめ縄編みをした。
時代は変わり、古いものは消えて行くしかないのかも。