桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

また続き

2021-06-08 | Weblog
昨日、院内集会から帰る特急内でブログを書いていて、途中になり、また後で書き継ごうと思って保存したつもりなのに、どうやら送信してしまったようだ。
菊池事件は、本当に酷い差別裁判で満足に弁護もされていない。
弁護士は弁護を放棄して犯行を否定するFさんに対して弁護するどころか、証拠に同意した上に「何も言うことはない」としか言わなかったのだ。犯行の凶器とされた刃物の発見経過も怪しくて、これは警察の常套手段の袴田事件や狭山事件などと同じ捏造された証拠で、それを示す警察官の証言を、あろうことか裁判所の書記官が公判調書を勝手に訂正している不正まであるのだとか。
第三次再審請求が棄却された翌日、彼は処刑された。
飯塚事件の久間さん、福岡事件の西さんと同じように国家に殺害されたのが藤本さんだ。
最高裁判所は、この菊池事件に付いて憲法違反の裁判を行ったことを謝罪する声明を発表したが、この謝罪が、自分たちの責任で過ちを是正しない狡猾な内容で最高裁判所らしくて、だから日本は、この体たらくなのだと思わされる。
更に、公益の代表と言われる検察は、この事態を「事実に謝りはない」として再審請求をしないのだ。
まあ他の冤罪犠牲者に対する態度を見れば不思議ではないが、再審法を改正するときは検察を公益の代表者たる立場から降ろして再審請求権を奪う必要もあるだろう。
俺は知らなかったのだが、この菊池事件の発生原因には「無ライ県運動」というのがあったらしい。ハンセン病だと思われる人を市民が告発して施設へ送っていたのだそうだが、マスク警察だとか自粛警察などと言われるコロナでの日本を見ていると、この菊池事件は日本という国民性がでっち上げた冤罪だとも思わされた。
警察も悪い、検察も酷い、裁判所も狡い、だけど見ぬもの清し、臭いものに蓋、冤罪や他人の痛みに無慈悲で無関心な国民性こそ、問題なのかも知れないよなぁ。
もし自分がと思わないのか、思えないのか、と嘆く俺も、もし自分が冤罪にならなければ同じようにしていたに違いない。
人は変わる、変えられる。嘆くより行動だよね。諦めずに声を上げて、人を、社会を変えるしかないのだから。

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