桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

袴田と狭山

2015-05-15 | Weblog
昨日は、鹿児島に移動する前、東京高裁前で定例宣伝をする狭山事件の支援に行ったらば、丁度、袴田事件も三者協議日で宣伝をしていた。
同じ時期に、同じように死刑囚として東京拘置所で過ごした袴田さんと石川さん。どのような思いだろうと考えたらば、次々と再審開始決定が出る中で、取り残されるよう闘う石川さんの心境には胸が熱くなった。もちろん、袴田事件でもマイクを握り、話をした。「袴田を拘置所に引き戻してやる」と嘯くらしい腐れ検察を考えると、何時も腹が立ってしまい、過激な言葉になるが、味噌タンクに入れた証拠の捏造、袴田さんの名前を書いた紙幣番号が焼かれた札など、警察と検察が行った不正行為は犯罪として裁かれるべき行為。裁かれなければ日本の司法は正されない。そして、警察と検察が裁かれるのは狭山事件でも同じだ。被害者の死体を農道に穴を掘って埋めた行為1つを考えても、絶対に石川さん1人の犯行では有り得ない。俺は水道工事などの土木作業をして、穴を掘り、埋め戻す行為の困難を体験している。土は掘れば空気が入って飽和し、質量が増す。そこに死体を埋めたらば、どのような埋め戻し作業をしても残土が発生して、狭山事件の死体埋葬現場のように「見た目に異
常はない」状態では有り得ない。狭山事件でも無数の証拠捏造と証拠隠しを行った犯罪行為は裁かれなければならない。
狭山事件の裁判所前宣伝には、フェイスブックで繋がったような人も参加したり、わざわざ徳島市から上京して参加した人もいて、少しずつ広がっているのは嬉しかった。
袴田事件弁護団が裁判所へ入るのを見送って、俺と菅家さんは羽田空港へ。

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