桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

見送った

2021-09-28 | Weblog
社会に帰って来てから親戚や地区の葬儀は何度も体験したが、 初めて義兄夫婦と共に喪主席に座り、親戚のみでの告別。義母が逝って6日目、荼毘に付して見送った。
納棺のときの義兄は、何でも自分でやれる95歳の母親に頼りきっていて居なくなって戸惑っていると朴訥に語り、泣かせた。母の死を知らされて帰るべき場所を失った想いになり、身体の中を涼しい風が吹いている寂寥を味わった俺の、あのときの想いを味わっているのが判った。
義母は体調が悪化して
も「家にいたい」と語っていたそうだが、たった7日の入院で他界し、荼毘までの5日を家で過ごした。
あれは子供のころ、父は「俺が死んでも葬式なんていらない、どこかへ捨てても良い」と語っていたが、故郷から遠い病院で見守る人もないままに亡くなり、葬式もしなかった。出来なかったそうだ。人の言葉は怖い。
あの家に産まれて婿を取り、あの家で逝った義母。花が好きで庭には、何時も何かの花が咲いていた。もう少し生きていられたのではないかと思える病状に悔いは残るし、跡取り息子の死で跡取りの無い心残りはあったろうが、95歳は天寿。話し好きで穏やかな伴侶。3人の子供。5人の孫。4人の曾孫を得て幸せな人生だったと思う。
赤も混じった花の溢れた式場を目にした連れ合いは「涙が出て来ちゃった」と言った。花が好きだったからと。
先日も義母の想い出に触れて買い物が出来なくなって帰って来たこともあったそうだが、きっとこれから何度も、何かに触れては母親を想い、感じて悲しみを味わうのだろう。
愛する人の死は悲しい。だからこそ、生きている時間と人を大切にして生きて行かなくてはならないと、改めて思ったなぁ。
初めて話した地区の連れ合いの同級生から「良かったですね」と言葉を掛けられた。俺が義母に出来た最大の親孝行だったかも知れない。

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