桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

快晴

2015-12-19 | Weblog


名古屋へ向かう新幹線。
冬晴れの空に富士山が綺麗だ。
少し雲が掛かり、山頂が顔を出した姿も美しいが、携帯のカメラで撮っても、残念ながら見た目のような美しさは消えてしまう。

橋下徹

2015-12-19 | Weblog
稀代の口先男と評して良いだろうか。
橋下ほど、自分の考えを巧みに人に語れる人は、そう多くない。黒を白と語り、白く思わせるのだから、実に素晴らしい能力だと言える。橋下弁護士と呼ばれる職業では、きっと、その巧みな弁舌が力や金になるのだろうが、政治家としては、そもそも政治に携わってはならない人間だった気がする。
橋下さんは「万人の喜ぶことは出来ない」と、この間の政治家としての行いを総括したが、この言葉に橋下さんの本質と政治家失格が表れている。
政治は、何のために、誰のためにあるのか、その原点と言うべき部分が判っていない。
強者に政治はいらない。社会の強者である大企業や、その周囲にある人たちは、制約を生む政治を、きっと煩わしく思うだろう。何にも制約されずに自由に経済活動をして、出来るだけ莫大な利益を得たい、そして、税金は払いたくない、そう思っているだろう。
人間には力量に差もある、能力にも差がある。総ての人が同じではなく、違っているのだ。だから、能力などの差が生きる差を生まないように、みんなで社会を築くために政治があるのではないのか。
橋下さんが語るように万人の喜ぶ政治は出来ない。確かに、その通りだが、では、誰の喜ぶ政治を行うか、それこそが政治家の政治家たる存在意義と言うものだ。
学費を支払う困難を訴えた高校生の陳情に、橋下さんは「嫌ならば、違う政治家を選ぶか、この国から出て行くべき」と言い放った。政治を金儲けにしか考えない政治屋の面目躍如たる発言だろうが、橋下さんは、結局、政治も社会も強者のためにあるモノとしか考えられない人だった。ゆえに、政治に携わってはならない人間だった。
また、その口先でテレビに顔を出し、あの顔を見るのかと思うとウンザリだが、再び政治屋に戻るときの方が、本当はウンザリだし、怖い話だよね。