自粛が続いたあと、急に働きだした(!?)せいなのか、このところあまりよく眠れていない。
「疲れすぎると目が覚める」というけれど、まさにそんな感じ。体は疲れているのに、頭は目覚めている。
亡くなった父が、「横になっているだけでも体は休まるものだ」とよく言っていたので、目を閉じて横になってみるが、それでも眠れない。
なんだか、もったいないような気がして、身体を起す。そうして自然に眠気が訪れるまで、布団の上に身体を起したまま、闇の中にいる。
「闇に身を任せる」という、感じが好きだ。闇のなかの方が目や心が冴えて、物がはっきり見えるような気がする。
闇のなかでは小さな物でも、その形まではっきりみえるというだけのことで、私はその光が好きなんだと思う。
都心で生まれ育ったせいなのか、光のない闇というものを知らない
寝る前に電気を消すと、窓の外は明るい。近所のコンビニ、駅のほうのネオンとか、街頭などで、空がうすぼんやりと明るく、夜空に雲がちゃんと見えることもある。部屋の中の方が余程闇が濃い。
私にとって、夜は明るいものだ。なんというか精神的に。
しゃれたレストランの間接照明とか、花火をしにサンダルをつっかけて表に持って出る一本のろうそくとか、闇の中では、小さなあかりがほんとうに明るい。そして、その明るさに救われる。
娘たちが小さかったころ、寝かしつけたあとに、近所にあった24H営業のスーパーに行った。そこに行くと、なんとなくほっとした。目が痛いくらいの白い灯り。おびただしい量の食料品。私は結構長くそこにいた。色鮮やかな野菜や果物を眺め、ぎっしり並んだ缶詰のラベルを一つずつ読み、いろんな種類のお菓子に目をみはり、牛乳のボトルやドリンク類が整列している棚の間をゆっくりと散策した。
そこに行けばなんでもあったし、何時に行ってもあいていた。街頭の下、15分も歩けばそのスーパーについた。いつ行っても人がいて生活感があり、外の闇に白い光があふれだしている。その人工的な美しさに私は安心した。
コンビニ、ファミレス、白い光があふれているお店はどこにでもあるようになった。避難所の印のようだ。
すいこまれる、という感じ。あかりは、あふれるような誘惑で、人を、「居場所がある」という気持ちにさせる。
思い出したことがある。
子どものころ、両親のいいつけを守らないと叱られて、物置に入れられた。外からつっかえ棒かなにかをされ、開けることはできなかった。「ごめんなさーい!あけてよー!」と、泣きながらドンドンとドアをたたいていると、すぐドアがあいて、私は飛び出していったのだ。
少し大きくなると、意地をはって平気な顔をしていたが、かすかに聞こえてくるテレビの音などもひどくせつなかった。せつなかったが、物置の電気は内側にあるので、スイッチを押して灯りをつけた。小さな電球だったけれど、あかりさえあれば、「私のお城」だ。
家族が読み終わった雑誌が積んであったので、そこから「少女マーガレット」や母の読んでいた「ミセス」を取り出して読んでいた。といっても、10分もすればがガラっとドアがあき、誰かが「救済」に訪れるのだ。
ある日また物置に入れられた私は「プレイボーイ」という雑誌をみつけて見ていたのだ(読むというより見るしかなかった、)
そこへ入ってきた母に「あんたは、なんてことを!」と叱られ、「ちょっと、お父さん、なんでこんなもの!」と、父も呼ばれ、父が「やあやあ、」と笑いながら入ってきて、何冊かあった「プレイボーイ」を抱えて、どこかへ持っていった。
「あれは、お父さんの、お医者さんの本です!あんたには関係ない!」と、さらに叱られた。確かにお医者さんへ行けば診察のときに裸にはなるが、そういうのとはちょっと違うと思った。
物置へ入れたのは父なのに、そのときは「早くお風呂に入りなさい」「枝豆食べるか」などと言って来た。
その後、物置に入れられることはなくなった。
大人になり、いまはもう、誰も私を闇のなかに放り出せない。父も亡くなり、物置も、完全な闇もない。
私はひとりで、薄明るい闇の中に、漂っている。
(^.^)/~~~
「疲れすぎると目が覚める」というけれど、まさにそんな感じ。体は疲れているのに、頭は目覚めている。
亡くなった父が、「横になっているだけでも体は休まるものだ」とよく言っていたので、目を閉じて横になってみるが、それでも眠れない。
なんだか、もったいないような気がして、身体を起す。そうして自然に眠気が訪れるまで、布団の上に身体を起したまま、闇の中にいる。
「闇に身を任せる」という、感じが好きだ。闇のなかの方が目や心が冴えて、物がはっきり見えるような気がする。
闇のなかでは小さな物でも、その形まではっきりみえるというだけのことで、私はその光が好きなんだと思う。
都心で生まれ育ったせいなのか、光のない闇というものを知らない
寝る前に電気を消すと、窓の外は明るい。近所のコンビニ、駅のほうのネオンとか、街頭などで、空がうすぼんやりと明るく、夜空に雲がちゃんと見えることもある。部屋の中の方が余程闇が濃い。
私にとって、夜は明るいものだ。なんというか精神的に。
しゃれたレストランの間接照明とか、花火をしにサンダルをつっかけて表に持って出る一本のろうそくとか、闇の中では、小さなあかりがほんとうに明るい。そして、その明るさに救われる。
娘たちが小さかったころ、寝かしつけたあとに、近所にあった24H営業のスーパーに行った。そこに行くと、なんとなくほっとした。目が痛いくらいの白い灯り。おびただしい量の食料品。私は結構長くそこにいた。色鮮やかな野菜や果物を眺め、ぎっしり並んだ缶詰のラベルを一つずつ読み、いろんな種類のお菓子に目をみはり、牛乳のボトルやドリンク類が整列している棚の間をゆっくりと散策した。
そこに行けばなんでもあったし、何時に行ってもあいていた。街頭の下、15分も歩けばそのスーパーについた。いつ行っても人がいて生活感があり、外の闇に白い光があふれだしている。その人工的な美しさに私は安心した。
コンビニ、ファミレス、白い光があふれているお店はどこにでもあるようになった。避難所の印のようだ。
すいこまれる、という感じ。あかりは、あふれるような誘惑で、人を、「居場所がある」という気持ちにさせる。
思い出したことがある。
子どものころ、両親のいいつけを守らないと叱られて、物置に入れられた。外からつっかえ棒かなにかをされ、開けることはできなかった。「ごめんなさーい!あけてよー!」と、泣きながらドンドンとドアをたたいていると、すぐドアがあいて、私は飛び出していったのだ。
少し大きくなると、意地をはって平気な顔をしていたが、かすかに聞こえてくるテレビの音などもひどくせつなかった。せつなかったが、物置の電気は内側にあるので、スイッチを押して灯りをつけた。小さな電球だったけれど、あかりさえあれば、「私のお城」だ。
家族が読み終わった雑誌が積んであったので、そこから「少女マーガレット」や母の読んでいた「ミセス」を取り出して読んでいた。といっても、10分もすればがガラっとドアがあき、誰かが「救済」に訪れるのだ。
ある日また物置に入れられた私は「プレイボーイ」という雑誌をみつけて見ていたのだ(読むというより見るしかなかった、)
そこへ入ってきた母に「あんたは、なんてことを!」と叱られ、「ちょっと、お父さん、なんでこんなもの!」と、父も呼ばれ、父が「やあやあ、」と笑いながら入ってきて、何冊かあった「プレイボーイ」を抱えて、どこかへ持っていった。
「あれは、お父さんの、お医者さんの本です!あんたには関係ない!」と、さらに叱られた。確かにお医者さんへ行けば診察のときに裸にはなるが、そういうのとはちょっと違うと思った。
物置へ入れたのは父なのに、そのときは「早くお風呂に入りなさい」「枝豆食べるか」などと言って来た。
その後、物置に入れられることはなくなった。
大人になり、いまはもう、誰も私を闇のなかに放り出せない。父も亡くなり、物置も、完全な闇もない。
私はひとりで、薄明るい闇の中に、漂っている。
(^.^)/~~~