社員とバイトの働きの違い、この境が曖昧。バイト中の職場でそれを強く感じる。私のような初心者はともかく、長期バイトの人への待遇はとても悪いらしい。同じ様に働いても給与は社員が格段に上。それは当たり前でそれ以外には、同じ様に働いては表面上の話しで実際にはバイトの方が陰で多くの労働を強いられる場合もあるようだ。昨日も客と配送担当者との間でちょっとした行き違いがあった。そんな時でも対応したバイトに責任があるような言い方を社員がしていて、何か違うんじゃない? と感じた。バイトはあくまでもバイト。働く時にはそんな意識はもっていないつもりでも、実際には待遇も異なるのだからきちんとした責任は社員がとってよ、と思う。その為の好待遇なのだからさ。分かっていないで業務に付く人がいるからやっかいだ。
新しい万能細胞の論文に対して重大な過誤があると認めた、理化学研究所。今更何なの? と思うのが一般的な考えではないのか。論文が発表された時に、おかしい? と思う関係者はいなかったのか? あれだけユニットリーダーの女性研究者をマスコミでも面白いように取り上げた後、事実と違うと言われても狐につままれたような話。万能細胞が実在するのかどうかは未来に委ねなければならない状況というのが実際のところなのか。それにしてもよく分からないのは彼女自身はこの問題をどう捉えていたのか。論文をコピペしても盗作? にはならないと心得ていたってことか。手書きで卒論を書いた世代から言わせるとコピペ自体がおかしいと思うが現代には通用しないのだろうな。簡単に物事が運ぶ時代だからこそ気をつけないといけないこともある。今回の件は話が前後したがそのままで終わらなかったのがせめてもの救いか。理化学研究所が事前にチェックしてから発表すべきだったのかも。もっともそこまでずさんな内容だとは思いもしなかったと彼らは言い訳をするかもな。そう言われても仕方がないような気もしないでもない。しかし、何を信じたらいいのか。嘘が多いな、最近の世の中は。
仕事帰り、バスに乗った。車椅子の人が乗車し、途中で降りた。その際、ワンマンバス(今時はこれが当たり前か)なので運転手さんが台を持ち出してひとりで対応。都バスに乗車する時に何度かその場面に出会った事がある。最近は電動式の車椅子も増え、付き添いなしで外出する人も多くなったからだろうか。それはさておき、問題は車椅子の人が下車する時に起きた。通常は乗車する人を外で待たせておいて先に車椅子を下車させる。ところが今日の運転手さんは慣れていなかったのか、前のドアを開けたまま後方に行き車椅子の介護をしてしまった。その為、そのバス停で乗車する人の運賃確認が出来なかった。最前列に乗っていた私には客の乗り込む姿がよく見えた。乗ったのは3,4人。高齢者の男女はシルバーパスらしきものを見せた。完全に未納、つまり無賃乗車をしでかした女性がいた。推定年齢30代半ば。スマホを操作しながら乗ってきて、画面から目を離さない。そのくせ運転手が席に戻ろうとした時には慌てて後方に移動しようとし、高齢の男性に「なんだ、失礼な。ばか者! 」と怒鳴られてた。彼には彼女の行動が見えていなかったので慌てた意図がわからなかったのだろう。それにしてもせこいなー。200円をケチる気持ち。嫌らしいね。細かい事かもしれないが、小さい事こそ大事に生きないと。運転手さんに告げ口をしようかとも思ったが仕返しが怖いのでやめた。でもー。世知辛すぎて情けない。
短期バイト中の職場は圧倒的に女性が多い。それでいて会社の体質が古いのか管理職は男性。3月に配置換えがあり上司が変わった。それでも似たり寄ったりの現場の事はよく分かっていない人になった。短期バイトの身なので適当にやり過ごせばどうって事はない。けれどこれが長い間働く場だとしたら、と考えるとうんざり。長期勤務の社員達はどう思っているのだろう。想像はつく。昨日も忙しい1日が終わろうとする頃、現場の事には不案内の上司がやって来た。「今日も忙しくて大変だったね、お疲れさん」の言葉賭けでもしたらいいけど、この人そんな事しないだろうなと思っていた。案の定、前置きなしで「去年に比べたら売り上げが~」と売り上げしか頭にないらしい彼は昨年の話をベテラン社員に聞き始めた。彼女にすれば疲れが出る時間にまだ働かされるのか、と思ったのではないか。働く者の実態を知ろうともしないで売り上げ、売り上げと自分の仕事しか考えられない人が上に立つ身でいいのか? どこか間違っているのでは? そんな事にも気づけないから今があるのだろうけど。
津波で多くの被害者が出て、胸痛む話が絶えない大川小学校。この3年間、被害者達の遺族や生き残った人達はどんな思いで生きてきたのか。想像すら及ばない。そんな中、昨日被害者の父親達がニュース番組に取り上げられていた。法の裁きで事実を明らかにしたいと考えてのことと推測される。生き残った児童の話? を元にして地震から津波が来るまでの児童と教師達のやりとりや教師が避難の決断を下すまでをドキュメンタリータッチで描いていた。それを鵜呑みには出来ないが事実に近いものなのだろう。「山に逃げた方がいい、このままでは津波で死ぬ」と主張した6年生の男子児童がふたりいた、との事。教師の指示がなければ動けなかった子ども達。震災当時から、この学校の対応についてはいろいろな方面から様々な意見が寄せられていた。誰が考えても教師達の決断は遅すぎたし間違っていた。そんな簡単な事がどうして分からなかったのか。間抜けにも程がある、と遺族達が思っても当然。この責任は誰がどう取るのか。不在だった校長、曖昧な判断しか出来なかった教頭(彼ももしかして亡くなっている? )の責任は? 前例のない事案だがきちんとした答えを我々第三者も見守りたい。