竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第三局。
振駒で先手は木村一基八段。羽生善治名人はごきげん中飛車の立ち上がりから①Bの変化になりました。相銀冠から相穴熊と中盤がなかなか始まらないような将棋に。夕食休憩の局面が第1図。
すでに92手が経過していますが,まだ本格的な戦いになっていません。この後も,先手が手損をしたりと,千日手模様になりましたが,先手から打開。どうにか本格的な戦いとなり第2図に進展。
将棋はここから先手玉周辺での戦いに終始。つまり後手が攻めきるのか先手が受けきるのかという勝負になりましたが,結果的にみますとどうも受けきるというのは難しかったようです。第3図に。
僕は観戦していてここでもまだはっきりとは分からなかったのですが,ここから△7七歩成▲同金寄△同馬▲同金△6八銀と進み,どうやら後手が勝勢といえるくらいの差がついていると気付きました。以下,最後には華麗な手も繰り出し,後手の勝ちとなっています。
展望でも大本命の羽生名人が渡辺明竜王への挑戦権を獲得。渡辺竜王も書いていますが,この七番勝負は,勝った方が初代永世竜王に就位するという戦いになります。
それではこれらの事柄に注意しつつ,反論への反論として呈示した,人間が瞬きをするというときに,瞬きをしないようにするという意志がどのように発生するのかということを考えてみましょう。
まず第一にこの場合の前提としなければならないことは,人間というのは一日のうちにそれこそ数え切れないほどに瞬きをするものですが,そのほとんどに関して,この人間の身体の瞬きという運動は,瞬きをする人間の意志とは無関係に行われているということです。実際,自分は常に意志して瞬きをしていると主張するような人はいないだろうと思います。さらにいうならば,多くの場合には人間は,自分が瞬きをしているということさえ意識していないものといえるでしょう。僕の考えでは,観念は無意識に関連し,意識には観念の観念が関連するのですが,これでいえば,自分が瞬きをしている観念の観念を有するということも,人間はそうも多くないということになります。
このように考えれば,普通は人間は瞬きをするという意志を有さないわけですから,瞬きをしないという意志も同様に有さないといえます。また,瞬きをするということを意識することも少ないですから,瞬きをしないということを意識することも少ないでしょう。
もちろん,瞬きをしないという意志が,人間の精神のうちに発生することがないということはありません。たとえば瞬きをしない時間を競うようなゲームをするとき,人間の精神はこのゲームのルールの観念を原因として,そうした意志を有するでしょう。しかし経験論としてこのことを説明する場合には,実はこの例はあまり相応しくないということになるのではないかと思います。
振駒で先手は木村一基八段。羽生善治名人はごきげん中飛車の立ち上がりから①Bの変化になりました。相銀冠から相穴熊と中盤がなかなか始まらないような将棋に。夕食休憩の局面が第1図。
すでに92手が経過していますが,まだ本格的な戦いになっていません。この後も,先手が手損をしたりと,千日手模様になりましたが,先手から打開。どうにか本格的な戦いとなり第2図に進展。
将棋はここから先手玉周辺での戦いに終始。つまり後手が攻めきるのか先手が受けきるのかという勝負になりましたが,結果的にみますとどうも受けきるというのは難しかったようです。第3図に。
僕は観戦していてここでもまだはっきりとは分からなかったのですが,ここから△7七歩成▲同金寄△同馬▲同金△6八銀と進み,どうやら後手が勝勢といえるくらいの差がついていると気付きました。以下,最後には華麗な手も繰り出し,後手の勝ちとなっています。
展望でも大本命の羽生名人が渡辺明竜王への挑戦権を獲得。渡辺竜王も書いていますが,この七番勝負は,勝った方が初代永世竜王に就位するという戦いになります。
それではこれらの事柄に注意しつつ,反論への反論として呈示した,人間が瞬きをするというときに,瞬きをしないようにするという意志がどのように発生するのかということを考えてみましょう。
まず第一にこの場合の前提としなければならないことは,人間というのは一日のうちにそれこそ数え切れないほどに瞬きをするものですが,そのほとんどに関して,この人間の身体の瞬きという運動は,瞬きをする人間の意志とは無関係に行われているということです。実際,自分は常に意志して瞬きをしていると主張するような人はいないだろうと思います。さらにいうならば,多くの場合には人間は,自分が瞬きをしているということさえ意識していないものといえるでしょう。僕の考えでは,観念は無意識に関連し,意識には観念の観念が関連するのですが,これでいえば,自分が瞬きをしている観念の観念を有するということも,人間はそうも多くないということになります。
このように考えれば,普通は人間は瞬きをするという意志を有さないわけですから,瞬きをしないという意志も同様に有さないといえます。また,瞬きをするということを意識することも少ないですから,瞬きをしないということを意識することも少ないでしょう。
もちろん,瞬きをしないという意志が,人間の精神のうちに発生することがないということはありません。たとえば瞬きをしない時間を競うようなゲームをするとき,人間の精神はこのゲームのルールの観念を原因として,そうした意志を有するでしょう。しかし経験論としてこのことを説明する場合には,実はこの例はあまり相応しくないということになるのではないかと思います。
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