昨日の第29期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は丸山忠久九段が20勝,三浦弘行九段が12勝。
振駒で丸山九段の先手。三浦九段の横歩取り。先手が左の金を前線に繰り出していく将棋となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/08/33e0f62701d3baf62e13deb64834c0db.png)
後手が歩を垂らして攻め合いを目指した局面。ここで先手は58分も考えて▲4六歩と突きました。残り10分を切るまで考えた手。こういう局面での長考は形勢が芳しくない場合の方が多いと思われますが,先手が読み切ろうとして目算を立てたものか,仕方がないと判断したものなのかは判別できません。結果的にいえば勝利を引き寄せる手になりました。
手の流れから△2八歩成▲4五歩△8八角成▲同王△3八とまでは一本道に近い気がします。先手はそこで▲4四歩と突き捨て△同飛に▲4七香と打ちました。後手は△1四飛と元の位置に。
先手は▲7四歩とこちらに手を付け後手は△2三銀。ここでまた▲4四歩と打って△同歩に▲5五金と寄ったのが好手順で,実質的な決め手になったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2c/c3bba3176a126190ee7b45f455ec9754.png)
一旦は突き捨てたところにまた歩を打ち,左側に手を付けたのに金を右に寄るというのは考えにくいところがあるように思います。こういう手順を発見できるのは強さの証ではないでしょうか。
丸山九段が先勝。第二局は26日です。
創造されない事物の定義については,スピノザはよっつの条件を掲げています。まず順に列挙します。
条件①。 創造されないものの定義には,定義されるものの一切の原因が排除されていなければならない。
条件②。 創造されないものが定義されたら,それによって定義されるものの存在に関する疑問が生じてはならない。
条件③。 創造されないものは抽象的概念によって定義されてはならない。
条件④。 その定義から定義されるものの特質のすべてが帰結しなければならない。
これらのうち条件④は,創造される事物の定義の条件②と同じです。なのでこの条件がほかの条件とどう関係するのかということの説明は割愛します。また,この条件が実質的にどういう意味を有しているかということの説明も不要でしょう。
前にいったように,それがどんな事物であっても,定義は知性の秩序を転倒させないことに資するものです。ですから条件①も,その意味において有益でなければなりません。すなわちそこでいわれていることには,知性は創造されない事物を認識するために,第一部公理四の意味において,定義されたもの以外の観念に依存することがあってはならないということが含意されています。というよりも,そういう意味合いの方が強いと受け取れる記述をスピノザはしています。
条件②のスピノザの記述は明らかに否定的になっていると僕は解します。ですがこれは積極的にいい換えることが可能です。すなわちこの条件が実際に示しているのは,創造されないものの定義のうちに,定義されるものの存在の確実性が担保されていなければならないということだと僕は解します。
条件③についてスピノザは,創造されないものの定義は,形容詞として解釈することが可能であるような名詞によってなされてはならないという主旨のことをいっています。ですが僕の見解では,この条件というのは品詞の問題に還元できるようなものではありません。スピノザがどういう意味でそう記したかいまひとつ不明なのですが,実際に示されている記述よりはもっと広範な意味をもっていなければならないと僕は考えています。
振駒で丸山九段の先手。三浦九段の横歩取り。先手が左の金を前線に繰り出していく将棋となりました。
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後手が歩を垂らして攻め合いを目指した局面。ここで先手は58分も考えて▲4六歩と突きました。残り10分を切るまで考えた手。こういう局面での長考は形勢が芳しくない場合の方が多いと思われますが,先手が読み切ろうとして目算を立てたものか,仕方がないと判断したものなのかは判別できません。結果的にいえば勝利を引き寄せる手になりました。
手の流れから△2八歩成▲4五歩△8八角成▲同王△3八とまでは一本道に近い気がします。先手はそこで▲4四歩と突き捨て△同飛に▲4七香と打ちました。後手は△1四飛と元の位置に。
先手は▲7四歩とこちらに手を付け後手は△2三銀。ここでまた▲4四歩と打って△同歩に▲5五金と寄ったのが好手順で,実質的な決め手になったようです。
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一旦は突き捨てたところにまた歩を打ち,左側に手を付けたのに金を右に寄るというのは考えにくいところがあるように思います。こういう手順を発見できるのは強さの証ではないでしょうか。
丸山九段が先勝。第二局は26日です。
創造されない事物の定義については,スピノザはよっつの条件を掲げています。まず順に列挙します。
条件①。 創造されないものの定義には,定義されるものの一切の原因が排除されていなければならない。
条件②。 創造されないものが定義されたら,それによって定義されるものの存在に関する疑問が生じてはならない。
条件③。 創造されないものは抽象的概念によって定義されてはならない。
条件④。 その定義から定義されるものの特質のすべてが帰結しなければならない。
これらのうち条件④は,創造される事物の定義の条件②と同じです。なのでこの条件がほかの条件とどう関係するのかということの説明は割愛します。また,この条件が実質的にどういう意味を有しているかということの説明も不要でしょう。
前にいったように,それがどんな事物であっても,定義は知性の秩序を転倒させないことに資するものです。ですから条件①も,その意味において有益でなければなりません。すなわちそこでいわれていることには,知性は創造されない事物を認識するために,第一部公理四の意味において,定義されたもの以外の観念に依存することがあってはならないということが含意されています。というよりも,そういう意味合いの方が強いと受け取れる記述をスピノザはしています。
条件②のスピノザの記述は明らかに否定的になっていると僕は解します。ですがこれは積極的にいい換えることが可能です。すなわちこの条件が実際に示しているのは,創造されないものの定義のうちに,定義されるものの存在の確実性が担保されていなければならないということだと僕は解します。
条件③についてスピノザは,創造されないものの定義は,形容詞として解釈することが可能であるような名詞によってなされてはならないという主旨のことをいっています。ですが僕の見解では,この条件というのは品詞の問題に還元できるようなものではありません。スピノザがどういう意味でそう記したかいまひとつ不明なのですが,実際に示されている記述よりはもっと広範な意味をもっていなければならないと僕は考えています。
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