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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

阿波おどり杯争覇戦&滅びの原因

2025-07-06 16:44:01 | 競輪
 小松島記念の決勝。並びは菅田‐佐藤の北日本,犬伏‐島川‐小川‐小倉‐久米の徳島で杉森と西田は単騎。
 菅田がスタートを取って前受け。3番手に杉森,4番手に犬伏,最後尾に西田で周回。残り2周まで動きはなく,ホームを出てから犬伏が発進。菅田は突っ張りましたが犬伏が叩いて打鐘。ただ3番手の小川がマークしきれず,菅田が3番手に入りました。バックに入る手前から単騎の西田が捲り発進。だれもこれを止めることができず,バックの出口では犬伏を捲りました。島川がスイッチしましたがこれは時すでに遅し。セーフティーリードを取っていた西田が優勝。島川が2車身差で2着。島川と菅田の間に進路を取った佐藤が8分の1車輪差の3着で菅田が半車輪差で4着。
 優勝した広島の西田優大選手はこれがS級での初優勝。この開催は有力選手の途中での脱落が目立ち,地元が5人も決勝に進出。しかもラインを組みましたので圧倒的に有利。さすがにこのラインのだれかが優勝するのではないかと思っていました。犬伏は前の菅田が後ろのだれかに飛びつくことを警戒して発進したのだと思われますが,その影響で3番手の小川が離れてしまいラインの厚みの優位さを生かすことができませんでした。西田は地元勢を追走していたため8番手になってしまったので,仕方がないので捲っていったという面があったと思いますが,それがものの見事に決まりました。あまり警戒されていなかったがゆえの優勝という面もあったとは思いますが,記念競輪でも優勝できるだけの脚力はあったということだと思います。

 第三部定理六に示されるコナトゥスconatusは,第三部定理七において個物res singularisの現実的本性actualis essentiaに等置されています。スピノザの哲学における本性は,その事物と一対一で対応し合わなければなりません。その条件を満たすためにスピノザは本性を第二部定義二のように定義しているからです。よって,相反する本性が同じひとつの事物の本性を構成することができないということが帰結します。
                       
 第三部定理六は,すべてのものが自己の有に固執するperseverareということをいっていて,それに従って行動することが自己の利益suum utilisを追求するといわれるのでした。そしてそれが個物の現実的本性であるとすれば,もし何かがある個物を滅ぼすような要素を有するのであれば,それはそのものと相反する本性を有するということになります。これは第三部定理五でいわれている通りです。このことはコナトゥスと関連して考えずとも,一般に事物の本性はその事物の存在existentiaを定立するけれど排除しないということから明らかですが,ここでは考察の都合上,このことより後に論証されているコナトゥスと関連させて帰結させました。
 このことから理解できるのは,現実的にAという個物が存在していて,そのAを滅ぼす何かがあるとすれば,それはAの本性のうちに含まれているわけではなくて,Aの外部にあるということです。このようにして,もしも現実的に存在するAが滅びる,要するに現実的に存在するAが現実的に存在することをやめるということが生じるならば,そのことはAにとってはAの外部から与えられるということになります。これは第三部定理四でいわれていることに該当します。このこともまた第三部定理五に関して与えた注意と同じことがいえるのですが,ここではこれをコナトゥスと関連させて結論します。
 この場合のAは,現実的に存在するすべての個物に該当します。第二部定理一〇系を援用するまでもなく,人間も個物として現実的に存在しています。したがって,もしも現実的に存在するある人間が滅びる,要するのその人間が死ぬということが生じるのだとすれば,その死に関してその人間は部分的原因causa partialisではあり得ても十全な原因causa adaequataではあり得ないといわなければなりません。

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