スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&スピノザ哲学の主体

2023-11-22 18:53:30 | 地方競馬
 第25回兵庫ジュニアグランプリ
 一旦はラブミーテキーラが前に出たのですが外から追い上げてきたトラジロウが前に出て逃げることに。控えたラブミーテキーラとオーキッドロマンスが並んで2番手。4番手にイーグルノワール。5番手にタリスマンとサトノフェニックスとカプセル。8番手にストリーム。9番手にゼルトザームとミトノウォリアー。3馬身差でヴァリオ。デリシャスパーティは大きく離されて発馬後の正面を通過。向正面に入るとオーキッドロマンスがトラジロウに並び掛けていき,3馬身差でイーグルノワール。その後ろにラブミーテキーラとカプセルとサトノフェニックスという順に。ミドルペースでした。
 3コーナーに入るとイーグルノワールとサトノフェニックスが並んで前の2頭を追い上げてきました。2番手のオーキッドロマンスは苦しくなり,その後ろは内からストリームで外からゼルトザーム。直線に入るとトラジロウも一杯。ここからはフィニッシュまでイーグルノワールとサトノフェニックスの競り合い。制したのはイーグルノワールでサトノフェニックスがハナ差で2着。外から追い上げたゼルトザームが5馬身差の3着で内を回ったストリームがクビ差で4着。
 優勝したイーグルノワールは重賞初挑戦での優勝。このレースはJRAで1勝クラスを勝っている馬が有力というのが例年の傾向で,今年もその2頭が接戦で,3着以下には差をつけての結果となりました。それぞれが勝ち上がったレースが1勝クラスの平均レベルを下回っているということは考えにくいので,将来はともかく,全日本2歳優駿に進むのであれば,勝ったイーグルノワールはもちろん2着のサトノフェニックスも有力馬になるでしょう。母の父がシンボリクリスエスで祖母の父がフジキセキ。祖母は2009年のセントウルステークスと2010年のシルクロードステークスを勝ったアルティマトゥーレ。3代母が2001年の阪神牝馬ステークスを勝ったエアトゥーレ。4代母は1994年に京王杯スプリングカップを勝ったスキーパラダイス
 騎乗した松山弘平騎手と管理している音無秀孝調教師は兵庫ジュニアグランプリ初勝利。

 このヤコービFriedrich Heinrich JaobiとヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの相違は,僕のようにスピノザ主義を支持する立場からは,次のようにみえます。
                                   
 スピノザの哲学の中に主体subjectumという概念notioを見出すことができないのかといえば,そんなことはないと僕は考えています。たとえば第三部定理五一でいわれているように,異なった人間は同一の対象から異なった仕方で刺激されるafficiことがあります。これは異なった人間,たとえば現実的に存在するAと現実的に存在するBの本性essentiaが異なるがゆえに生じます。つまり,ここでいわれている対象,たとえばXが,Aを刺激するafficereときにもBを刺激するときにも同一の現実的本性actualis essentiaを有していると仮定しても,Xの現実的本性がAの現実的本性を刺激するときにAのうちに生じることと,Xの現実的本性がBの現実的本性を刺激するときにBのうちに生じることは,Aの現実的本性とBの現実的本性が異なる分だけ異なり得るのです。このことは第二部自然学②公理一から明らかであるといわなければなりません。よってこの相違を,Aという主体とBという主体の相違に還元することは可能です。いい換えればAの現実的本性がAという主体を構成し,Bの現実的本性がBという主体を構成するということで,スピノザの哲学の中に主体という概念を見出すことは可能です。
 ところが,こうしたことは,主体という本来の意味からかけ離れているのです。なぜならこの相違は,ここで主体といわれているものが,外部の物体corpusに刺激される限りにおいての相違を前提としているからです。たとえばXがAを刺激するといわれるとき,主体といわれるのはXなのであって,Aは主体に対していえば客体に該当します。つまりスピノザの哲学に主体という概念を持ち込むなら,それは実際には客体としての相違によってそれを主体といっているのにすぎません。第四部定理三五でいわれているように,もしもAもBも理性ratioに従っているのなら,Aの現実的本性とBの現実的本性は一致するのですから,その場合にはAが主体であろうとBが主体であろうと同じことです。いい換えれば僕たちが本来的な意味で主体といわれるときには,実際には主体の排除がスピノザの哲学では敢行されているのです。

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