スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

被災地支援平塚記念&属性の十全な認識

2011-05-30 18:27:04 | 競輪
 ゴールデンウィーク中に開催されていた平塚記念が今年は月末に移動。昨日が決勝でした。並びは根田-深沢の南関東に神山が番手戦を挑み,この後ろに大塚,松坂-林の神奈川,高城-山内-北野の近畿中部。
 前受けは松坂。3番手が高城で6番手に根田でこの後ろは周回中から並走。根田は残り2周で松坂を抑え,打鐘から先行態勢に。これを高城がかましていったのですが,山内が離れてしまい,根田が番手に嵌りました。根田の後ろは一旦は神山が奪ったのですが,再び深沢が取り返してバック。後方から松坂の捲りに林はついていけず。展開有利だった根田が番手から発進して先頭に出ましたが,松坂の捲り追い込みが届いて優勝。根田が2着で空いたコースをうまく突いた大塚が3着。
 優勝した神奈川の松坂洋平選手は連休開催の別府記念に続いて2度めの記念競輪制覇。メンバーの全体的なレベルは今回の方が高かったですから,より価値のある優勝かと思います。若い選手ですから日毎に強くなっているのかもしれませんが,現在の調子がよいということもあるのでしょう。今後も今月のような活躍を続けていけるのかどうか,目が離せないところです。

 AがBに対して本性naturaの上で先立つということの意味をこのように解したとき,物体corpusの存在existentiaに神Deusの延長の属性Extensionis attributumの存在が本性の上で先立っていなければならないということは,これで明らかになりました。そしてこれは一般に物体の秩序ordoないしは連結connexioというものを形成しているということになります。そこで再び第二部定理七を参照するなら,観念ideaの秩序と連結はこの物体の秩序と連結と同一でなければならないのですから,物体の観念がある知性intellectusのうちに現実的に存在するためには,神の延長の属性の観念がその知性のうちに,本性の上で先立って存在していなければならないということになるでしょう。いい換えれば,もしもすべての現実的に存在する人間の精神mens humanaが,スピノザが第二部定義一に示した事柄を共通概念notiones communesとして十全に認識するcognoscereのであれば,すべての人間はそれに本性の上で先立って,神の延長の属性を認識しているということになります。そして第二部定義一の内容に関しては,すべての人間がそれを共通概念として有するということがすでに明らかになっているのですから,すべての人間は延長の属性に関して,これを十全に認識しているという結論になると思うのです。
 こうしたことがどのようにして生じるのか,僕の考えを示せば,おそらく,第二部定義一に示されている事柄が現実的に存在するある人間の精神のうちに共通概念として生じるときには,実際にはそれは,延長の属性が共通概念として認識され,その認識から必然的にnecessario物体の認識cognitioが生じているということになるのだろうと思います。そしてこのことは,単に延長の属性についてのみ妥当するというわけではなく,人間の精神の場合についていえば,思惟の属性Cogitationis attributumについても妥当します。したがって,第二部公理五により,人間が認識する神の属性は延長の属性と思惟の属性のふたつだけですが,その両者について,すべての人間がそれを十全に認識するということになると思います。
 このことは,人間の精神による属性の認識の無謬性の確度というものをさらに高めることになるでしょう。したがって,少なくと属性の認識に関しては,認識論的なものを実在論的なものに置き換えることの根拠を,さらに高めているといえると思います。しかし,僕はもしかしたら『エチカ』はさらにこれ以上のことを示しているという仮説を立てられるのではないかと思っていますので,さらにその点に関する分析に進んでいくということにします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本ダービー&先立つ | トップ | 農林水産大臣賞典さきたま杯&... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

競輪」カテゴリの最新記事