戸口の雑感⑭の最後のところでいった仕方がない面というのは,全日本プロレスの組織のあり方と関係します。全日本プロレスという団体はすべてを組織で決定する仕組みになっていたので,たとえジャンボ・鶴田ほどの選手であっても,個人的な意見が受け入れられる可能性はなかったと戸口はみているのです。ただこの当時の全日本プロレスは実質的に馬場がオーナーとしてワンマン経営をしていたのですから,組織での決定というのは,馬場の意向も含まれています。つまり,選手が意見をしたとき,それが馬場の意向に沿うならOKが出ますが,意向に沿わないと受け入れられません。この当時の馬場はまだ自分が第一線を退くということを決意していなかったので,たとえ鶴田や戸口が意見をしても,鶴田の正式なパートナーが戸口になることはなかったというように戸口は考えているのです。
鶴田が善戦マンといわれていたことを,戸口はこの路線で解しています。鶴田が善戦マンを脱するということが,実は馬場の意向に沿わなかったのだということです。鶴田は仕事としてプロレスをしていましたから,自身がそこを脱したいという思いを強く抱いていたのかどうかは分かりませんが,鶴田が善戦マンであり続けることは,自分が第一線で戦うためには馬場にとって好ましかったのだというのが戸口の見解です。この見解は一理あるのであって,事実そうであったかもしれません。ただ,戸口はアメリカで仕事をしていたときに,大木金太郎の意向で全日本プロレスで仕事をするようになったわけですから,レスラー個人の意向を重視し,組織の決定というのは軽視する傾向が強かったと思われます。したがってこのような見解自体が,戸口のようなレスラーからは生じやすいという一面はあるでしょう。
戸口が全日本プロレスでの仕事を終え,新日本プロレスに移籍したのは1981年のことです。その頃が全日本プロレスが経営的に最も厳しい時代であったようです。
10月3日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室では僕の前にひとりの患者が待機していました。先に採尿をしてそれから採血をしました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
診察が開始となったのは午後4時でした。9月の通院のときにいわれていたように,この日は代行の医師による診察でした。
HbA1cは6.2%でした。これは正常の上限値です。つまり正常の範囲内になったということです。これは僕のHbA1cとしてはかなり低いです。正常の範囲内になったのは,2017年7月以来のことでした。HbA1cの値が下がるのは,ここ数ヶ月の血糖値の値が良好にコントロールされていたからですが,何度もいっているように,僕の血糖値の統御に大きな影響を与えるのは気温です。僕は夏場であろうと冬場であろうと生活自体は変化しません。血糖値に影響を与える要素としての,平均的な食事の量が変化するわけではありませんし,平均的な運動の量が変化するわけでもありません。ですが気温が高いほど血糖値が低下しやすい傾向があります。これは事実そうなのであって,どういうものであるのかは分かりませんが,間違いなく因果関係がある筈です。これは10月の通院ですから,これからは気温は下がっていきます。なので血糖値も自然と高くなっていくでしょう。よって注射するインスリンの量を減じるということはしませんでした。
この日は血糖値が63㎎/㎗で,低血糖を示していました。病院の血液検査で低血糖だったのは,7月以来のことでした。
診察の終わりにインスリンと注射針の処方箋が出されます。これまで僕を診察したすべての医師は,このときに次回の診察までの必要な数量を計算して,僕に在庫を核にした上で処方箋を出します。しかしこのときの代行の医師は,計算はせずに必要な量を僕に尋ねてきました。僕はインスリンに関してはどれくらい必要であるか,つまり1本を何日で使い終えるかの目安は分かっているのですが,針は受け取ったものがどれくらいでなくなるかは分かりません。これは使用する本数と梱包が見合っていないからです。
鶴田が善戦マンといわれていたことを,戸口はこの路線で解しています。鶴田が善戦マンを脱するということが,実は馬場の意向に沿わなかったのだということです。鶴田は仕事としてプロレスをしていましたから,自身がそこを脱したいという思いを強く抱いていたのかどうかは分かりませんが,鶴田が善戦マンであり続けることは,自分が第一線で戦うためには馬場にとって好ましかったのだというのが戸口の見解です。この見解は一理あるのであって,事実そうであったかもしれません。ただ,戸口はアメリカで仕事をしていたときに,大木金太郎の意向で全日本プロレスで仕事をするようになったわけですから,レスラー個人の意向を重視し,組織の決定というのは軽視する傾向が強かったと思われます。したがってこのような見解自体が,戸口のようなレスラーからは生じやすいという一面はあるでしょう。
戸口が全日本プロレスでの仕事を終え,新日本プロレスに移籍したのは1981年のことです。その頃が全日本プロレスが経営的に最も厳しい時代であったようです。
10月3日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室では僕の前にひとりの患者が待機していました。先に採尿をしてそれから採血をしました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
診察が開始となったのは午後4時でした。9月の通院のときにいわれていたように,この日は代行の医師による診察でした。
HbA1cは6.2%でした。これは正常の上限値です。つまり正常の範囲内になったということです。これは僕のHbA1cとしてはかなり低いです。正常の範囲内になったのは,2017年7月以来のことでした。HbA1cの値が下がるのは,ここ数ヶ月の血糖値の値が良好にコントロールされていたからですが,何度もいっているように,僕の血糖値の統御に大きな影響を与えるのは気温です。僕は夏場であろうと冬場であろうと生活自体は変化しません。血糖値に影響を与える要素としての,平均的な食事の量が変化するわけではありませんし,平均的な運動の量が変化するわけでもありません。ですが気温が高いほど血糖値が低下しやすい傾向があります。これは事実そうなのであって,どういうものであるのかは分かりませんが,間違いなく因果関係がある筈です。これは10月の通院ですから,これからは気温は下がっていきます。なので血糖値も自然と高くなっていくでしょう。よって注射するインスリンの量を減じるということはしませんでした。
この日は血糖値が63㎎/㎗で,低血糖を示していました。病院の血液検査で低血糖だったのは,7月以来のことでした。
診察の終わりにインスリンと注射針の処方箋が出されます。これまで僕を診察したすべての医師は,このときに次回の診察までの必要な数量を計算して,僕に在庫を核にした上で処方箋を出します。しかしこのときの代行の医師は,計算はせずに必要な量を僕に尋ねてきました。僕はインスリンに関してはどれくらい必要であるか,つまり1本を何日で使い終えるかの目安は分かっているのですが,針は受け取ったものがどれくらいでなくなるかは分かりません。これは使用する本数と梱包が見合っていないからです。
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