スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&硝石の把握

2016-07-18 19:19:03 | 地方競馬
 第20回マーキュリーカップ
 先手を主張する馬が不在。ゆっくりとマイネルバイカがハナへ。正面では2頭が2番手を併走していましたが,向正面に入るあたりでケイアイレオーネが単独の2番手,タイムズアローが3番手に。この後ろはハイフロンティア,ストロングサウザーで加わっていったのがマイネルバウンスとクラージュドール。ユーロビートがこれらの後ろでそれをマークするような位置にソリタリーキング。超スローペースだったものと思います。
 3コーナーを回るとケイアイレオーネがマイネルバイカに並び掛けていってややペースアップ。タイムズアロー,クラージュドールが前を追い掛け外を回ったのがユーロビートで内からストロングサウザー。直線に掛けてマイネルバイカが外に出したので,外を回った馬は距離をロス。開いた内に突っ込んだのがストロングサウザーとタイムズアローでさらにその内からマイネルバウンス。外に出して粘り込みを図ったマイネルバイカ,大外になってしまったユーロビートの5頭による争い。ここからストロングサウザーだけは抜け出して優勝。2馬身差の2着はその外のタイムズアロー。ハナ差の3着がさらにその外のマイネルバイカ。大外のユーロビートが半馬身差の4着で最内のマイネルバウンスはアタマ差の5着。
 優勝したストロングサウザーは2月の佐賀記念以来の重賞2勝目。このレースはJRAからトップクラスの出走がなく,南関東から上位の馬が遠征してきたので大混戦。結果的にコース取りが明暗を分けた部分も大きかったように思います。ただ,2着争いが熾烈だったところを抜け出しているので,快勝だったことに間違いはありません。とはいえこれより上のレベルで戦うのはまだ苦しそうという印象が残りますから,相手次第でまたチャンスを得られるかといったところではないかと思います。父はハーツクライ。Southerは南風。
 騎乗した田辺裕信騎手と管理している久保田貴士調教師はマーキュリーカップ初勝利。

 『スピノザ哲学研究』では,スピノザがロバート・ボイルRobert Boyleと硝石の本性に関して論議しているときには,ボイルは硝石を現実的に存在する物体として把握していたのに対して,スピノザはそれを理性の有entia rationisと解していたという主旨で記述されています。これはスピノザが硝石の本性を現実的に存在する物体の本性としては認識していなかったという意味において僕の見解と同一です。したがってその点においては僕は工藤の見解に同意します。ただしスピノザの哲学を全体としてみた場合には,この説明は好ましくないと僕は考えています。
                                     
 スピノザの哲学における理性の有というのは,真の意味における有ではありません。いい換えれば実在的有ではありません。しかしボイルと論争していたときのスピノザが,硝石を実在的有と把握していなかったというようには僕には思えないのです。むしろ個物の存在に則していうなら,ボイルは硝石の現実的本性actualis essentia,すなわち現実的に存在している硝石の本性について言及しているのに対して,スピノザは神の属性の中に含まれている硝石の形相的本性について言及しているように思えるのです。個物は神の属性に含まれて存在していようと現実的に存在していようと,実在的有であるという点に変わりはありません。なので僕はスピノザが理性の有として硝石の本性を認識していたという説明は,正確さを欠く一面があると思うのです。
 ただし,スピノザが,理性によって認識される硝石の本性を認識していたというなら,僕はそれを否定はしません。第二部定理四四系二から明らかなように,理性に基づいて硝石の本性を認識するというのは,硝石の本性を永遠の相の下に観想するということにほかなりません。しかし硝石の現実的本性は永遠の相の下に把握されるものではありません。現実的に存在する本性が永遠に存在するというのは,持続のうちに存在するものが永遠のうちに存在するといっているのと同義であり,それ自体では不条理であるからです。
 もっとも,このようにいうと,単にスピノザが硝石の本性を永遠の真理として認識していたという側面だけが強調されそうです。それはそれで誤解を生じるかもしれません。
コメント
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