スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&因果性Zと因果性A

2014-05-16 20:35:28 | 将棋
 第55期王位戦挑戦者決定リーグ。白組は4勝1敗の木村一基八段が挑戦者決定戦に進出。紅組は広瀬章人八段と千田翔太四段が4勝1敗で並び,プレーオフの一局が指されました。対戦成績は広瀬八段が1勝,千田四段が0勝。この一局はリーグ戦の1回戦のもの。
 振駒で広瀬八段の先手。千田四段は横歩取りに誘導しておいて飛車を下段まで引くという変則的な指し方。後手が歩損ながらも手得の相掛りのような戦いに。その手得の分で銀冠を完成させましたが,有効に生かせたのかどうかは微妙なところだったと思います。途中からは先手が少しずつよかったように思いますが,終盤勝負に。
                         
 先手が4三の銀を歩で取って,後手は取り返した局面。▲2四飛と行きたいところと思うのですが▲4四歩と打ちました。対して△8六歩。控室の検討ではこれは詰めろではないので,▲4三歩成で先手が勝てるという結論。ですが▲5五桂と打って飛車筋を止めました。しかしすかさず△4四金と取られ,以下▲2二歩成△4二玉▲4三歩△5二玉▲4二銀に△4五桂と跳ね出されました。
                         
 この手が詰めろでは局面は後手の勝ち。途中の△8六歩が勝負手で,この手が勝因であったといえる一局ではないでしょうか。
 千田四段が紅組優勝。挑戦者決定戦は26日。

 松田は作出原因ということで,それ自身の本性がそれ自身の存在の原因であるという場合も含めます。この条件下で,因果性Aは規定されています。
 これは重要なことなので何度でもいいます。それ自身がそれ自身の存在の起成原因causa efficiensということが,自己原因の本性であるとは僕は考えません。この把握の仕方は,スピノザの哲学の自己原因と原因の関係と齟齬を来し得ると思うからです。それ自身の本性のうちにそれ自身の存在が含まれているということと,それ自身の本性がそれ自身のcausa efficiensであるということの間には,決定的な相違があるいうのが僕の見解です。自己原因の定義は前者でなければならず,後者であってはなりません。最も厳密にいうなら,後者は自己原因の特質すら示しておらず,偽の命題です。とはいえ,表現上はこのような語用に許容の余地がまったくないとも僕はいいません。
 松田が作出原因から自己原因を認識しているのであると仮定したら,僕はそれには懐疑的であらざるを得ません。ただ一点,自己原因であれcausa efficiensであれ,それが因果性の由来になり得るということは認めます。したがって実体が自己原因であるということ,実在的にいえば神が自己原因であるということを規定する因果性Zが存在するということは問題ありません。
 第一部定義三第一部定理一〇には同一性があるというのが僕の見解です。このことを規準に松田のいい方に倣うなら,実体が自身の作出原因であるということと,実体が属性の作出原因であるということにも同一性があります。つまりこのふたつの作出原因に関する命題は,理性的にだけ,あるいは表現上の方法として区別されているだけで,作出原因としての因果性に注目すれば,完全に同一です。したがって,因果性Aというのが規定し得るような因果性であるとするなら,それは因果性Zと同一です。神が自己原因であるということと,神がある属性の作出原因であるということは,同一の事柄を他面から表現したにすぎないからです。そしてこの限りで,因果性Aの存在を僕は認めます。
コメント
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