スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京都体育館&第三部定義二の立場

2011-07-30 18:33:05 | NOAH
 全日本プロレスはいくたびかピンチはチャンスということばを実現させてきました。そのうちSWSの設立,天龍をはじめとする選手の大量離脱のピンチを脱したのは,三沢がタイガーマスクから素顔に戻ることによってでした。これは1990年5月14日の東京都体育館での試合中のことでした。実は僕はこのとき,現地でこの試合を観戦していました。大仰にいうならば歴史の目撃者のひとりであったわけです。
                         
 東京都体育館ではそれ以前にもプロレスは行われていて,たとえば新日本プロレスとUWFの5対5のイリミネーションマッチが行われたのも東京都体育館で,僕はその試合も現地で観戦しています。ただしこれは旧東京都体育館。おそらく建物の老朽化から新装されまして,その新装後の最初のプロレスが,先述の三沢が素顔に戻った全日本プロレスの大会だったのです。
 東京都体育館というのは,バレーボールとかバスケットボールの試合ができるような構造になっています。そのため建物自体が横長になっていまして,たとえば日本武道館と比べますと,プロレスの会場としてはあまり相応しくないかもしれません。とくに僕はこの日はそれを感じたのですが,それは,この当時の全日本プロレスを牽引していたといっても過言ではないであろう天龍が去って,これからの全日本プロレスはどうなってしまうのだろうというような,漠然とした不安感にも影響されていたかもしれません。僕自身,まさか素顔に戻った三沢が,この後,全日本プロレスの最良の時代をもたらすであろうとは,この時点では少しも想像できませんでした。
 この東京都体育館大会がシリーズの開幕戦。最終戦の日本武道館大会で三沢はいきなりジャンボ鶴田とシングルマッチを行い,大逆転とはいえフォール勝ちをおさめます。その武道館大会も僕は現地で観戦しました。このふたつの試合をライブで観戦していたことは,僕のプロレスファンとしての誇りのひとつなのです。

 それではまず第一の主題である僕自身による第三部定義二の考察に入りますが,その準備として,そもそもこの定義Definitio自体をどのようなものと考えるのかということについて,ふたつばかり僕自身の立場というものを明らかにしておくことにします。
 まず,スピノザの哲学において,一般的に定義というのは,定義される事物について,その本性natura,essentiaと発生を含んでいなければならないということになっています。これは僕がこの定義を今回のテーマとして設定した理由のひとつでもあります。よってこのことに従うならば,第三部定義二には,一般に能動actioと受動の本性と発生とが含まれているということになります。しかしながら,僕はこの定義については必ずしもそのように考えてはいません。この定義が一般に能動と受動の本性を示すということについては完全に同意しますけれども,能動と受動の発生を含んでいるということに関しては疑問の余地があると思うからです。というのも,この定義が能動と受動の発生を含むためには,この定義で我々といわれているものが,十全な原因causa adaequataとなって結果を生ずること,ならびに部分的原因となって結果を生じるということが,自明のものであるとする必要があると僕には思いますが,こうしたことを必然的な意味において自明な事柄とみなすためには,少なくとも何らかの証明が必要であると僕には思われるからです。
 したがって,まず原則として,僕はこの定義に能動および受動の発生が十全に含まれている,別のいい方をするならば,ここでスピノザが我々といっているもの,そもそもこの我々というのをどのように理解するのかということ自体がひとつの解消するべき問題であるともいえるわけですが,ここではそのことは眼中にはおかないとしても,その我々が十全な原因となりまた部分的な原因となるということに関して,それが我々といわれているものの本性に自明な事柄として属しているという立場には,少なくとも当初からは立ちません。ただこの定義は能動および受動についてその本性だけを含んでいるという立場を採用します。よって,能動と受動の本性というものはここにスピノザが示した通りのものであるというように理解しますが,現実的にそれら各々のことが生じるということについては,別途に証明していくこととします。
コメント
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