スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山記念&退院の許可

2011-01-11 19:01:56 | 競輪
 S級S班のちょうど3分の1にあたる6選手が新春の走り初めに選択した和歌山記念の決勝。並びは武田に三浦,海老根-白戸の南関東,市田-三谷の近畿,井上-友定-湊の西国。
 Sを取りにいったのが友定と三浦。枠とは逆に三浦が外でしたが,友定が譲る形で誘導の後ろに入り,武田の前受け。井上が3番手,市田が6番手,海老根が8番手という周回に。海老根は残り2周半くらいから上昇,市田が続いてバックで武田を叩くと,外から市田が交わしさらにその上を井上,そして武田も上がってホームで抑えました。市田ラインはインになりましたが,湊が友定に追突するような形となり,湊とあおりで内にいた市田も落車。武田ラインの3番手を内の井上と外の海老根で争うような形となり,武田はバックからようやく発進。これなら展開有利でそのまま逃げ切った武田の優勝。番手の三浦との間を割った井上が2着で三浦は3着。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は昨年2月の東王座戦以来となる久しぶりのグレードレース制覇で,記念競輪はその直前の熊本記念以来ほぼ1年ぶり。ただ,低迷していたとか衰えを見せていたというわけでもありません。ここは徹底先行型が不在,逃げることはできるだろうと考えていましたが,予想以上に楽な展開となり,これが勝因でしょう。
                         

 小脳出血完治したということになれば,当然ながら退院の目途が完全に立ったということを意味します。やはり僕たちが予期していた通り,検査結果の写真を用いた説明が終ってからは,母の退院の日取りのことが話題の中心になっていきました。
 N先生の話だと,とくにこれ以上の治療の必要がないのだから,退院するのはいつでもよいということでした。N先生は母のことよりも,むしろ僕の負担の方を考慮したようで,いつ退院しても構わないけれども,すぐに退院して困るのであれば,まだ入院していてもよいというような口ぶりだったのです。ただ,一時帰宅の時点で,支障といえるような支障はないということが僕には分かっていました。つまり母が退院してくれば,僕の負担は増えるどころか減るということが明白だったのです。ですから僕としてはいつ退院してきても構わないと思っていましたし,そのようにN先生にも伝えました。これによって退院の日取りの賽は,すべて母に投げられるということになったのです。いい換えれば,母は自分の好きなときに退院できるということになりました。
 ただ,母自身は,まだすぐに退院するまでの自信というのはなかったようです。というのも,母は毎日のリハビリを繰り返していましたが,退院してしまえばこのリハビリというのを受けることができなくなります。ひとりで外出するということに問題があるなら,退院すれば少なくともしばらくの間はほとんど外に出るということもできなくなります。また,こうした外出を伴ったリハビリ治療というのは,介護保険を利用することによって可能なもののひとつではあるのですが,この時点ではまだ判定が出ていなかったのです。
 こうした事情というのを踏まえて,母が出した結論は,少なくとももう1週間,すなわちこの週の間は退院せずに,リハビリ治療を続行するというものでした。もちろんこの母が出した結論に,僕も異論はありませんでしたし,N先生も口を挟むということはありませんでした。よって退院の許可というのは主治医から出たのですが,実際に母が退院してくる日というのは,早くても翌週,つまり12月20日の月曜ということになったのです。
コメント
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