スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&前提

2010-02-27 19:04:55 | 将棋
 棋王奪還を目指す佐藤康光九段の先勝で幕を開けた第35期棋王戦五番勝負第二局。
 ここは佐藤九段の先手で久保利明棋王のごきげん中飛車。③Bですが,▲9六歩ではなく▲7八金。先手が穴熊を目指したところで後手から仕掛けました。この後,打ち合った角を交換し,後手が銀を犠牲にするような形で2筋を突破し,龍を作りました。
               
 ここで先手は▲2八銀。これは龍を捕獲しにいく狙い。△3六桂▲同角△2九龍▲3九金でその目的は達しましたが,△同龍▲同銀△1七角成(第2図)となってみると,この大局観が正しかったかどうかは微妙な気がします。
               
 この後,観戦中は先手が勝負どころを失ったのではないかくらいに思っていたのですが,実際にはそれほどの開きはなかったようです。しかし将棋は70手目の△5九飛以下うまく寄せた後手が勝っています。
 久保棋王が勝って1勝1敗となりました。第三局は来月7日に指されます。
 

 第二部定理四九系をそれ自体で証明するという場合には,以下の点について,それらが僕の証明の手続きの前提条件となってきますので,先にそちらを確認しておきたいと思います。
 もしも何らかの事物があるという場合,あるいは,何らかの個物に関して,それが現時点では現実的に存在していないとしても,第一部公理三により,一定の原因が与えられさえすれば,存在するようになるとき,この事物には力があると僕は解します。しかしこれに反して,ある事物が存在することができないとするなら,こうした事物は無力である,すなわち,力があるというのと正反対の意味で無力であると解します。いい換えれば,スピノザの哲学にあっては,必然と不可能が反対の概念となるわけですが,ある事物がその存在に関して,必然であるならばこれは力であると解し,逆に不可能であるならこれを無力と解するということです。なお,これらのことに関しては,スピノザが第一部定理一一第三の証明で用いている原理と同様なので,ここでもこれを前提とすることについては,スピノザの哲学の範疇ではそう大きな問題がないものと考えます。
 次に,こうした事物の力というのは,その事物の本性から即座に生じてきます。このことは,第二部定義二の意味の中に,事物の本性はその存在を定立するが排除はしないということが含まれているということからも明らかですし,そもそもここでは人間の知性と意志についてのみ考察の対象としていますから,第三部定理七に訴えるだけでも十分であると思われます。僕はスピノザの哲学における本性と実在性の関係については,すでに何度か,実在性というのは力という観点からみたその事物の本性であるということを説明してきましたが,要するにここでもこの考え方に依拠するということです。
コメント
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