スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

登場人物&シャワー

2009-10-10 18:32:22 | 歌・小説
 『明暗』夏目漱石のほかの小説に比べて際立っていると思われる点のひとつに,作中における主要な登場人物の数が多いということがあげられます。ドストエフスキーの小説は登場人物が多くて,僕にはだれがだれだか分からなくなってしまうことがあるのですが,この点も,『明暗』における漱石のドストエフスキーからの影響といえなくもないのかもしれません。
               
 漱石の小説に登場人物が少なくなるのには理由があります。漱石は『こころ』の先生に代表されるような,職を持たない利子生活者を高等遊民と称していましたが,小説の中心人物にこのタイプの人間が出てくることが多いからです。つまりかれらは職を持ちませんから,職場での人間関係というものも当然ながらなく,よってそういう関係の人間が小説の中に登場してこないのです。逆にいえば,『坊っちゃん』というのは長編ともいえないような短い小説ですが,主人公が教師として働きますから,職場の同僚が登場し,この短い小説にしては,比較的に登場する人物が多くなっているのです。『坑夫』についても同様のことがいえるでしょう。
 しかし『明暗』の登場人物は,それまでに新聞小説として書いていたほかの小説に比べますと,明らかにその数が多くなっています。そのために小説の長さも長くなっていると考えることもできるでしょう。
 小説の長さとか,登場人物の数とか,こういうことを小説家に関する別の小説家からの影響ということには語弊があるかもしれません。しかしこれらふたつの点は,確かに『明暗』からドストエフスキーを連想させる材料であると思います。

 シャワールームというのはおそらく入院患者の病室がある各階にあったものと思います。もちろん8階にもあり,これは総合内科の入院患者専用でした。5日は僕に声をかけてくれた訪問介護士に案内されて入りました。もちろん訪問介護士もついてきたわけですが,この時点では僕はひとりでシャワーを浴びられる状態でしたから,これは形式的なもので,シャワールームの外で待っていてもらいました。なお,シャワーは朝のうちに時間を予約しておけば浴びられるということをこの訪問介護士に教わりましたので,僕は翌日からは自分で予約して浴びるようにしました。予約のための表がナースステーションにあって,そこに希望の時間を自分で記入しておくのです。ただし,訪問介護士が来る月曜と木曜は予約できませんでしたので,僕は浴びませんでした。要するに,月曜と木曜はひとりでは入浴できない人の入浴日で,ひとりで入浴できる人はそれ以外の日というように棲み分けられていたということになります。
 しかし病院のシャワーであるがゆえに,入れないよりはましですが,十分に満足ができるようなものではありませんでした。まず,浴槽もあったのですが,そこにお湯を溜めて入浴することは許されず,シャワーで流すだけでした。それは仕方がないにしても,シャワーの方も,おそらくは安全のためであったのでしょうが,お湯があまり熱くならないようになっていたのです。冷たいということはありませんでしたが,もう少し温かくならないものかといつも思っていました。とくに僕が入院していたのは冬場のことですから,水も温かくなりにくかったということもあったかもしれません。このようなわけで,シャワーを浴びてもすごく心地よいという気分にはなれませんでした。それでも,浴びられるだけまだよかったとは今でも思いますし,だから僕は浴びられるときは可能な限り浴びていたのです。
コメント
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