よく、学生の頃とか受験の小論文などで、「生きがい」について書きなさいというのがありました。
幼いころから、ちょっと、その生きがいというのが理解できず、そのまま大人になってしまいました。
何かすることによって生きていて良かったと思うようなことでしょうが、それは酒を飲む、月1回贅沢する、好きなことに没頭する、仕事をするなどさまざまでしょう。
生きがいと聞かれた場合、いつも、なんだろう?と考え、強引に結びつけるものです。
趣味に没頭している時が楽しい、でも生きがいか?と思うとそうでもない。
仕事も打ち込めない、まあ、今は、家族と一緒に居るのが安心する一時かと思うのですが・・・。
元気な場合、或いは、精神的に良好の場合、何かあるでしょう。
しかし、あった人が無くなる場合もあり、そうなると、精神的にガタ~ンと来ることを耳にします。
また、元々無くて、なんとなく暗くなってしまう人もいるでしょう。
これらは性格というより、精神状態、環境で左右されるもので、その生きがいが無い場合、辛い方面にベクトルが向いてしまうものです。
生きがいどころか、生きてゆくことが辛い場合などは、生きがいなど、言葉にすら出てきません。
鬱病特有の「死んでしまいたい」「消えたい」「毎日が辛い」、その状態で生きがいは出てきにくいもの。
自分はまさにその状態ですね。
本当に酷い時は自殺願望はありました。まあ、怖くて実際やろうとは思いませんですが、独り言で「死にたい」「辛い」は良く出ることばであることは以前書きました。
心療内科に行くと、そこは聞かれましたね。まだそういう言葉出ますか?と
以前のドロンドロンの時よりは気持が楽になりましたが、それでも、毎日が辛いと思うもので、まだ「死にたい」という独り言は出てしまうものです。
言葉に出る、感情に顕れるは、生きがいの逆が心を支配しているものと思います。
その不安や辛さを取り除かないと、きっかけが無いとなかなかそれが取れません。
生きがいの反対が強いから当然に生きがいは無い或いは、少ないものです。
毎日が辛いだるい、生きてゆくのがイヤ、でも自殺は怖い。
こんな気持の人、自分だけではないと思うんですね。
何甘ったれてるんだ!そういう気持もあるし、健康体の人からはそう言われる。
でも辛いのは事実であって、その辛さと向き合わなければなりません。
あまりにも酷い時は寝逃げやサボリもいいでしょう。
迷惑を掛けないような現実逃避もいいでしょう。でも根本的な解決にはなりませんね。
その、幹となるものはどうやったら崩せるのだろうか、何が自分をそうさせてるのか。
当然に考えても結論は出ませんが、まず何が一番辛いかを捜すところから始めるのが懸命なんでしょう。
私の場合捜せてはいますが、その次のステップで苦戦してます。
睡眠薬アモバンを常用にして、今週からは半錠にしてます。
少し依存気味。
寝れるから使う。でも残るのも問題。
これもちょっと辛い問題でもあります。
とにかく夢見ですね。悪夢は少なくなっても、疲れる夢ばかりみる。
いかに精神が安定していないかの顕れ。
このあたりは精神統一する何かをするのがいいのか、リラクゼーションに没頭すればいいのか、
そんなことしか頭にはありませんね。
とにかく、まだまだ精神状態が良くないということなんでしょう。
自らできる解決策は、できる範囲でやって行くようにしないとね。
来年で7年目の鬱との闘いになります。長いですね。
幼いころから、ちょっと、その生きがいというのが理解できず、そのまま大人になってしまいました。
何かすることによって生きていて良かったと思うようなことでしょうが、それは酒を飲む、月1回贅沢する、好きなことに没頭する、仕事をするなどさまざまでしょう。
生きがいと聞かれた場合、いつも、なんだろう?と考え、強引に結びつけるものです。
趣味に没頭している時が楽しい、でも生きがいか?と思うとそうでもない。
仕事も打ち込めない、まあ、今は、家族と一緒に居るのが安心する一時かと思うのですが・・・。
元気な場合、或いは、精神的に良好の場合、何かあるでしょう。
しかし、あった人が無くなる場合もあり、そうなると、精神的にガタ~ンと来ることを耳にします。
また、元々無くて、なんとなく暗くなってしまう人もいるでしょう。
これらは性格というより、精神状態、環境で左右されるもので、その生きがいが無い場合、辛い方面にベクトルが向いてしまうものです。
生きがいどころか、生きてゆくことが辛い場合などは、生きがいなど、言葉にすら出てきません。
鬱病特有の「死んでしまいたい」「消えたい」「毎日が辛い」、その状態で生きがいは出てきにくいもの。
自分はまさにその状態ですね。
本当に酷い時は自殺願望はありました。まあ、怖くて実際やろうとは思いませんですが、独り言で「死にたい」「辛い」は良く出ることばであることは以前書きました。
心療内科に行くと、そこは聞かれましたね。まだそういう言葉出ますか?と
以前のドロンドロンの時よりは気持が楽になりましたが、それでも、毎日が辛いと思うもので、まだ「死にたい」という独り言は出てしまうものです。
言葉に出る、感情に顕れるは、生きがいの逆が心を支配しているものと思います。
その不安や辛さを取り除かないと、きっかけが無いとなかなかそれが取れません。
生きがいの反対が強いから当然に生きがいは無い或いは、少ないものです。
毎日が辛いだるい、生きてゆくのがイヤ、でも自殺は怖い。
こんな気持の人、自分だけではないと思うんですね。
何甘ったれてるんだ!そういう気持もあるし、健康体の人からはそう言われる。
でも辛いのは事実であって、その辛さと向き合わなければなりません。
あまりにも酷い時は寝逃げやサボリもいいでしょう。
迷惑を掛けないような現実逃避もいいでしょう。でも根本的な解決にはなりませんね。
その、幹となるものはどうやったら崩せるのだろうか、何が自分をそうさせてるのか。
当然に考えても結論は出ませんが、まず何が一番辛いかを捜すところから始めるのが懸命なんでしょう。
私の場合捜せてはいますが、その次のステップで苦戦してます。
睡眠薬アモバンを常用にして、今週からは半錠にしてます。
少し依存気味。
寝れるから使う。でも残るのも問題。
これもちょっと辛い問題でもあります。
とにかく夢見ですね。悪夢は少なくなっても、疲れる夢ばかりみる。
いかに精神が安定していないかの顕れ。
このあたりは精神統一する何かをするのがいいのか、リラクゼーションに没頭すればいいのか、
そんなことしか頭にはありませんね。
とにかく、まだまだ精神状態が良くないということなんでしょう。
自らできる解決策は、できる範囲でやって行くようにしないとね。
来年で7年目の鬱との闘いになります。長いですね。
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