画・江嵜 健一郎
した色紙に直接描いた。
いつものようにヤフーブログで水仙を検索する。
「水仙は中国古来の花。仙人が天にあるものは天仙。水にあるものは水仙。学名のNarcissusはギリシャ語のNARKEが由来。しびれさせる意味。水仙の球根には催眠作用があるところから来た。」とあった。水仙は花も気品があって魅力的だが、香りがまたいい。だから水仙は多くの人に好まれるのであろう。
更地の傍の通りでフエンス越に覗き込むように足を止めていた初めてお目にかかったさるご婦人と花談義を楽しんだ。花が中だちをしてくれるからこそできる話でいつも花に感謝している。今年も一年ありがとうと、先日出かけたときに、お礼肥しを花さんたちの足元にやった。
「スイセンが元気に咲きましたね」からご婦人との話ははじまった。「いつもここを通る時お花をみせてもらっています。今日は一人だけど、仲間といると一緒に楽しませてもらっている。」と続けた。
「内庭に水仙を植えているが花が咲かない。南天も立派な実をつけてますね。特に白南天が見事です。」と話しが水仙から南天に移った。誰も住んでいないのに、ここは、どうして花が元気に咲いているのかと前々から聞いて見たかったことが後で分かった。
「ありがとうございます。」と受けたあと「園芸は、素人の分際です。ただ、足元だけは気をつけている。丹念に草は取ります。風通しを良くしてやるためです。花も木も心地がいいのだと思います。水仙も、他の花も機嫌よく育ってくれています。」とこの日も定番の応答をした。「そうなんよね。風通しよくしてやれば花も喜ぶんだよね。」とつぶやいておられた。
近くの歯医者さんの裏に住んでいるとか、京都の北の天満宮近くで生まれたとか「来年はウサギさんですね」と一言いうと「私の干支は丑なの。」まで話は発展した。スケッチを済ませていたので多少余裕はあったが、寒空も厭わず、あれや、これやと話しが続き、かれこれ14,5分は立ち話していた。
今、日本ではお互い言葉を交わす機会が減った。「話す」は大和ことばで「放つ」だそうだ。兼好法師の「徒然草」に「むねふくるるおもい。」というくだりがある。日本全体の閉鎖感は、家でも外でもお互いが言葉を交わさないことも大いに影響しているのではないかと勝手に想像している。(了)