The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

自己防衛こそ、平和を維持

2013-02-07 12:06:06 | Weblog
世間には仕事もなく食べるものすら困る人がいるから、家に鍵をかけずにいつでも入ってもらってもいい、と考えるのが日本人の極左と呼ばれる人たち。そんな思想がいかにおかしいのか誰でもわかる。人権を語るなら生存権もセットにして、双方とも同等で語るべきだろう。一方的に弱者だけに偏向した判断は法律を正しく運用できない。それでも日本人は人情は法より重要とする文化。
それをうまく利用されている点を反省してもいい。

移民が増えると既存の文化や価値観は変化せざるえない。それを支えるのが法律。もし、法律が正しく運用できなくなれば社会の秩序は維持できない。
他国を真似る必要はあるのだろうか。参考にしても必ずしも真似る必要はない。何故なら日本ほど実質差別が少ない国はないからだ。宗教や肌の色で社会生活から排除されることはない。あるのは言語の不自由、つまり日本語ができないため地域社会のルールに従えないということ。いくら各国語で翻訳したところで、ゴミ出しですらルールを破ったら罰則として罰金など科さないのが問題。
性善説は移民には通用しない。ルールを守る限りは言語が不自由であろうが、生活に影響しないのだから、こういった一般社会のルールには罰則を作るのが先。

日本の義務教育で安全保障などを含めた内容もしっかり盛り込む。独立国が自国の安全を維持するためにどういった安全保障があるのか、各国はどうしているのかを教えるのは必要。こういった知識がなければ国民それぞれが自己防衛する意識を維持することはできない。単に善悪だけで判断するような教育はいい加減やめていかないと日本の未来は危うい。

同盟国や相互間での協定がない外国人学校や専門学校については一切税金で補助しない。また、反日につながるような内容を教育している国の学校は運営に制限を加えるぐらいは必要。もし、本当に民族教育が必要なら母国に帰ってもらえばいい。なんでも移民のために平等にやるという発想は日本人が大好きがいい子ブリッ子でしかない。こんなことはいい加減やめよう。

自らがしっかりしてない限り、移民との共存共栄を平和的に運営できない。なにせ同じ日本人で同士ですら協調するどころが日本国という生活の場を崩壊させるぐらいなのだから。
疑えばきりはないが、それでも治安の維持は日本人がひとりひとり心がければある程度は可能だ。スパイとか工作員は必ずいる。これはどの国でも同じだが、それは国に任せるとしても窃盗、強盗などの犯罪は各自が防衛することで減らせる。こういった自己防衛策を徹底することも治安維持につながる。

日本国民自身以外にだれも日本国民を守ってはくれない。
いい加減、性善説的な人道うんぬんのために自らの生命や財産を犠牲にする価値があるのか、日本国民はもう一度真剣に考える時期でもある。


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