The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

政策で現政権を交代させるだけの政治力がない日本の政治

2011-06-08 00:00:13 | Weblog
政権与党の内部分裂は政策で現政権を交代させるだけの説得力はない。何故なら原発政策にしても無謀なCO2削減25%など提唱した政権であり、その実現のために無理な原発政策を推進したとしか思えない。自民党は利権だとか癒着と言われながらそれを是正すらしないで利権の癒着だけはしっかり継承したのだろう。

そもそも原発推進と利権というが、太陽光や風力発電も立派な利権が存在しているように見える。だから日本国の日照光からして効率が悪い太陽光による発電が原発に変わるなどと嘘を平然と口にできるのだろう。太陽光パネルについてはより効率が良い素材や蓄電技術もまだ開発途上であり、実用化のめどはたってない。宇宙太陽光発電も同じ。しかし、どれも実用化の年数をあげて開発は継続している。これを無視して現在に非効率発電に切り替えるなど正直金の無駄。
現実的というなら現在の原発の安全性を確保しつつ、新しく実用化される数々の自然エネルギー発電に切り替えることと同時に一般家庭での電力使用を節電させる。オフィス機器やコンピューターの節電は海外に合わせてかなり進化しているが、家電はまだまだのはず。それでも国産の冷蔵庫、洗濯機の節電は優秀と言われるように節電機能だけで売れている点もある。これはテレビも同じ。目標を定めることでそれを達成するのはある意味製品の競争に勝ことにもなる。空調は電気ではなくLPGと併用することで電力使用はかなり節電される。そういった意味では日本が持つインフラ全体で考えることこそ、最も効率のよいエネルギーの節電になると思うのだが、そういった統括的視野で考える人が政治家でいないのは残念でしかたがない。
コミュニケーションにしても有線を最大に活かすなら携帯電話の利用も変わってくる。つまり各家庭で光ファイバーによる通信インフラを用意し、そこに携帯電話も使えるようにしていくだけでいいはず。そのインフラにテレビなどうまく載せていけば、無理して電波を飛ばす必要もない。これもインフラを統括的に見ていけば済む話で個々にアイデアを出すからまとまらない。民営化のデメリットだけ強調されたインフラ政策を見直すべき時期だと思う。ハードは公共機関が提供してそこに乗るソフトで競争させればいいだけのこと。今回の原発事故も民間企業任せだから起きたとも言える。その監視機関がまったく機能しない、または機能できるだけの強制力を法的に与えてないのが問題だとすれば、そういった点からさっさと改善すればいいだけなのだが、現政権与党はそれすら改善策の提案も出せない。それだけ無能と言える。

被災地復興だけで日本経済が回復するのだろうか。東北以外の被災地に対しても復興は必要のはず。あたかも東北だけが被災地であり復興という言い方がとても嫌だ。放置されている被災者を早急にどう対
処するというのならわかるが、どうも論調は違う。
原発事故から新しい発電と言うように本来集中すべき内容とずれている。

東北の被災地が復興すれば日本経済が回復するという根拠がみえない。これを説明できる政治家はいるおだろうか。どうも災害を自分達の政局に有利になるように誘導しているように感じるには気のせいだろうか。保証より被災者を避難所から出して生活できるようにするのが先だろう。そういった話し合いのために政府は何をしているのかも説明できない。何もしていないのなら首相が交代してもできない。経済回復策が何もないのだから、年末には日本国そのものがどうなるのかという不安は消えない。
生き残るのは自分であり他人に生命を預けていいのだろうか、と再考して欲しい。

原発事故が発生してからリアルタイムで政府は管理してない。これが一番の問題点。だから海水注入を命令したとか中断したとか以前に、最悪なシナリオを想定した動きすらできてないのは、原発事故の重さを認識していない政府と説明しないでもわかる。緊急時でありながら対策会議すら国会で開いても事実を説明すらてきないのだ。これを東電の責任というなら間違いなく管理責任がない。有事の特別法ですらなかなか発動してない。何にひとつまともに対応してない。それを対応したという根拠は何なのか。対応マニュアルがあるならそれを提示させればいいし、マニュアルがないのなら一体何にしたがって対応したのか日本国民に説明ができない時点で対応など出来てないと証明しているようなものだ。

被災地の復興についても予算の見積もりをする上でのビジョンすら発表できない。出てきたのは自然エネルギーと都市とか現実的ではないビジョンばかり。そもそもエネルギー=だけ決めたところでどうやって農業や工業を維持させ、発展させるのか。雇用はどうするのか、などまったく計画の発表がない。それでいて予算の数値を出せるとなれば、保証金だけのためであり、これでは到底復興にはならない。保証金も自然災害でありながら何故国が出すのか。自然災害などについては個々の責任で損害保険なりかけてない責任は無視するのか。もし、自然災害のために政府が保証などしているとなれば税金がいくらあっても足りない。こういった自然災害については国の保証はやめるべきだろう。むしろ個人の損害保険加入を生命保険と同じに税金控除して推進するのが好ましい。農業、漁業従事者もそれなりに業務への保険があったはず。放射能汚染というが、これも原発の近郊で済むから企業から金を貰っている点を考えるとリスクを認識しての選択のはず。それが事故発生したから政府が保証というのはいかがなものか。リスクが最悪なシナリオを説明してないというが、100%安全などこの世には存在しない。国が国民の生命を守る、財産を守るとしてもそれは国土全体での話しであり、地域による安全性は地域の行政の責任のはず。それを国に押し付ける地方行政の無責任さを誰も指摘しないのがおかしい。どうみても地方の我侭にしか見えない。

政治が甘やかした結果がこういった自己中心的な日本国民を育てた。自らは何の責任も追わないで誰かに依存して金を保証という言葉で要求する。
こういった姿勢ばかりの国民であれば間違いなく国は弱くなる。なにせ国の財布である税収は労働しないから減る上に、国策として都市やインフラ開発を実施しようとしても先祖からの土地だとか自然保護だとかで反対し、保証金を上げていく。これが自由というなら、自由とは自己利益のために何をしても許されるということになってしまう。個々の利益より個々が生活する土地全般におよぶ仕組みを前提とした考えを持てないなら、民主主義など成立できるはずもない。誰もが100%満足しないとしても、最低限の生活の保障として国防、インフラだけは国策で計画するしかない。しかし、その後、自らの価値観による安全性などに適さないなら反対するよりもさっさと自らの価値観に適する場所を探せばいいだけだ。あれこれ要求ばかりだと現代の若者を笑えないと思う。それぐらいに身勝手で我侭な自己中心にしか見えない。
津波が危険と考えるなら海岸付近に住まない。地震が危険と考えるなら地震がおきにくい土地や地域、海外へ移転すればいい。原発が危険と考えるなら原発から離れた地域や原発を持たない国で生活すればいい。これが自由だ。
反対して自分の思うとおりにならないからそれをすべて政治のせい、何のせいと誰かの責任になすりつけても何も変わらない。
それが不満ならさっさと訴訟なりで保証金を獲得すべき努力をすればいいのにそれもしないで保証とばかり訴える。

票だけのために政治をする政治家を選択した日本国民は考えて欲しい。
自分たちに都合が悪いから反対というのではなく、その政策が国策が何故必要でそれが自分たちにどう影響するのか、と考えて政治家を選択しているのかどうか。公約が重要だとするなら、公約を一定期間で実現できない政権にはさっさ辞めてもらうなら満足なのか。一体何を基準で選択しているのだろうか。外国人から金をもらっても平然としていたり、脱税しても平然としているような国会議員に何も違和感を抱かないんだろうか。
それともそういった曰く付国会議員が誰もが望む政策を持ち、実施しているのかどうか。

解散総選挙ができない、というのは政治家の奢りでしかない。避難所であろうが、投票もできるし、政権放送や演説をネット軽油で見たり、質疑応答だってできるはず。ただ現在の法律というなら、さっさと法改正して総選挙をしようという選挙的な姿勢もない。被災地の人の要望、日本国民全員の要望が同じだとも思わない。なおさら選挙で各政党の具体的な公約を日本国民が選択するしか将来の日本への行方は決まらないと思う。まさか、政治家に任せていれば日本の将来は自動的に決まると思うのが日本国民なんだろうか。経済回復だけをあげる政党はどこにもいないんだろうか。減税は口にしても日本経済回復は言えないほど難しいんだろうか。だったら企業や経済団体から政党を作ってもいいのかもしれない。経済が低迷するばかりなら日本国民の生活など絶対に安定すらしないからだ。




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