The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本国の資源である技術や人材を守るのは政治の役目

2010-06-21 21:27:20 | Weblog
日本企業が外国人雇用をする割合を法律で定めて、全体雇用数の10%未満とさせることだ。それを越える場合は企業へ増税と外国人雇用者の失業時に母国への帰国と1ヶ月分の給与を企業が保障するようにすること。
日本国民の税金で外国人の社会保障を賄う発想をなくさなければ、日本国民の雇用は保護されない。確かに企業からすれば優秀な人材であれば外国人だってかまわないだろう。しかし、日本国や日本国民の利益からすれば必ずしも外国人雇用の増大はプラスにはならない。おまえに外国人が失業しても強制帰国できないような労働ビザという移民政策を変更しないかぎり、雇用側の企業責任を明確にする必要はある。

消費税の増税について、生活必需品は税金還付と言っているんだが、この内容は明確にされていない。例えば、収入がいくら以上の人を対象にするのか、高齢者と同居していたり、障害者と同居して生活を共にしているような家族の場合はどうするかなど、何ひとつ明確になってない状況で増税を語るのは詐欺同然。
財政再建というなら、何故、小泉政権が実施したように社会保障費圧縮と言う提案が出てこないのか不思議で仕方がない。国家の財政が破綻すれば社会保障など1円だろうが捻出できない。ならば優先されるのは国家の財政を健全にすることだろう。そういった発想がなければ誰も真剣に労働して自分で経済自立しようなんて考えなくなる。例えば障害を持ったとしても最新機器を補助器具とすることで社会に出て経済自立する機会はある。生産性が落ちたとしてもそれをもって雇用からこういった人を排除する企業を問題とするべきだろう。これは高齢者の雇用でもいえることだ。

高齢化社会へシフトするのに何故高齢者を当初から雇用者としてはずすのか。
日本的経営手法の問題は、業務内容の明細もなkれば、指示書もない。例外処理や個人の判断ばかり優先するから、IT化もうまくできない。権限ですら下位に委譲できなぐらいに、業務は上位トップだけが握っている。まあ、ゆうなれば機械の変わりに人間を使うようなもんで、生産性という点からすれば未だシステムとして業務処理がしっかり構築できてない。反面、製造業はこういった業務処理を細かく見直し、無駄な工程を省き、効率化を優先してきた。まるで人間を機械の一部のように秒単位で作業を見積もる。機械化できない部分は人間が作業をする。もし、すべてが機械で可能になれば、人間は管理のみで必要となりコスト的には下がるのかどうか。機械のメンテナンスの方がコストが高いとも言われている。

現内閣は人間的な生活を重視しながら生産性を上げるような理想を言っているが、それは一体どんな方法なんだろうか。むしろ、生産した製品が余っている状況で生産性を上げる意味があるのかどうか。
シフトするなら、製品あたりの原価計算をしっかり人件費を含めて出すことしかない。それで製品が売れるかどうかって議論を政治がやっても仕方がない。
企業が自社製品を競合他社と違ってどういった位置づけするかの話だろう。
また、企業が日本国や日本国民の利益となる雇用を日本人よりも外国人を優先とするなら企業税を下げる必要はない。こういった点も政治は判断して企業が国益になるかどうかで判断するべきだろう。

外国からの日本企業の買収については、ある意味優先するとしても技術的な内容である場合、どうするのか。ここを保護しなければ10年も経たないで今の米国のように自国での技術は何も持てない国になる。特許を持っていたとしてもそれを実現する技術を持たなければ、その技術は売れない。

何故現政権が駄目なのか。それは日本国や日本国民の利益を優先を前提としないで経済政策を考えているからだ。未来の日本国や日本国民のために考えるなら、外国人雇用の増大、外国企業からの日本企業の買収、日本人技術者の外国企業への雇用という点に危機感を持ってもいいはず。国という枠はまだまだ存在する。
この枠をなくすという政治活動と現実の剥離がある限り、支持できない。
その例が外国人参選権や外国企業の企業税なしという政策だ。
雇用促進のために外国企業を誘致というが、大半の外国人企業の場合、現地採用するのはどういった職が知っているんだろうか。おまけにこういった外国企業を誘致するメリットである企業税をゼロってのは日本国に取ってメリットはない。
そんなことよりも企業家の育成のために資金なりを出す方がよほど日本国や日本国民に取って有益になるんじゃないか。

経済が上昇している時期ならば外国人だろうか外国企業だろうが歓迎してもいいだろう。ところが経済が低迷している状況で外国人労働者を増やしたり、企業を誘致するメリットが本当にどこにあるのかだ。国際化というまやかしの言葉で踊らされるほど、日本人は馬鹿ではない。国際化して日本国民に何のメリットもないってことをすでに日本人は経験している。儲かると騙され海外へ進出したり投資をして、本当に儲かったのか。日本経済にメリットがあったのか。
まさか、これも自民党政権だからというなら、いかにグローバルビジネスを甘く見ているか。

アジア以外にアフリカでもそろそろ製造業なりのビジネスが本格化する時期も近い。そうなればより安い人件費の国に製造拠点は競い合って移転する。そこで問題になるのが品質なんだなぁ。安い人件費だとして、品質管理にかかるコストまで削減できるのかどうか。製品の質が世界的に落ちているのがこの品質管理が駄目になったからと言われている。そのための苦情処理にかかるコストは増大する。ひとつには製品のライフサイクルが早いため、次の製品開発に銃bんな時間が取れず、製品の安全性、耐久性のテストまでがコスト削減の対象になっている。家電製品ぐらいならまだしも、航空機、原子力設備まで含まれているとなるとコスト削減というのが一体どういった内容なのかと知りたくなるのも当然だ。
さて、そういった世界の流れの中で一体現首相はどういう意味で最少不幸と定義したんだろうか。

労働を喜びとするか、それとも労働を罪とするか。それとも自給自足こそ自由とするか。価値観など国や文化、宗教でまったく違う。そんな違う価値観を持つ外国人と日本人をそもそも同じ地域で同じ生活をさせるって発想こそ、不幸そのものだ。個人の心が病む一番の原因は自分の居場所がないからだそうだ。
日本人そのものが日本人としての居場所をなくした自分の国となるのか。
だからこそ、守るべき未来のために今守るべき権利や技術を守ることこそ、現在の日本に一番必要なことのはず。
はっきりと言えば、日本国において日本人の生活以外がどうであろうが、そんなことはどうでもいい。なによりも望むのは、自分たち日本人の国である日本国が日本国民をいつも犠牲にするような政策をこれ以上実施させないことだ。
何よりも日本国民第一とする政策を実施してくれる政治以外はどんな政党だろうが、支持など絶対にしない。これを差別というなら、誰だって自分の生活ができない状態で他人の面倒など見れる訳がない。もし、それができるというなら、それは人間ではなく聖人と呼ばれる宗教などの人でしかない。
普通の人間であれば、誰だろうが自分が先ず生きたい、食べたいという欲求を満たすことを望むはず。それが労働や社会構成の動機でもある。

国間には真の善意など存在しない。あるのは利益による外交関係のみ。
国を守るとは、その国に属している国民の生活を守ること。
そういえば安保で国民を守らないが国を守るのがおかしいと指摘している評論家やら政治家がいるようだが、土台になる国を守れない限り、その国を基本として生活している国民の権利や義務は守れないはず。国民の生命、財産を守れるのは国家というしっかりした属する土地やシステムがあってこと可能なことだという点を忘れているから言える意見だろう。もし、国民という定義が国を持たない集団であれば、それは世界からどう認識されるのか。だからこそ、国として独立を望むんじゃないだろうか。

こういった言葉遊びをやめて現実を直視するならば、国家は国民により作られる限り、国家を守るとは国民自身の生命、財産を守ることになるはず。もし、属している国や国家を守らないで国民のみ保護するなり守るというなら、それは単に人道的な話しでしかない。安保条約で人道的保護って存在しないと非難するなら、そもそも戦争など勃発もしないだろう。
ここにも何かへの依存度が高いだけで自分たちの帰属している国を無視した考え方だと理解できる。自国で自衛するのは当たり前であり、そこで補助が必要ならそれを依頼できるような条約へ改善すれば済むだけの話だ。
同時に日本国がアジアにおける平和維持のための行動を負うという点も考慮するならば、憲法9条に特例として追加すればいい。何も変更や改正をしないでもいい。ところが憲法で国民の生命、財産と同じく雇用という点については誰も指摘しない。外国人労働者を優先する雇用を規制することは、日本国民の雇用を守ることにならないのか。日本国民の労働能力が低いとすれば、それはすでに教育や雇用環境の問題にもなるはず。労働貴族と呼ばれるような労働環境が日本国民の労働者を駄目にしたかどうか。そこを明確にしない限り、問題の解決は難しい。

人材を守るというのは、楽な労働で高収入を保証することではない。
人を育てることを企業が辞めたとすれば、即戦力以外は雇用しないというスタンスになる。ならば、それにそった教育制度を確立するのが国や政治の役目。
これを放置して単に社会福祉として金をばら撒くだけなら、日本経済は衰退するだけで現在持っている底力もなくなってしまう。

日本国民からの視点としては、雇用機会を日本国民と外国人労働者で競わせる企業を政府が望むのであれば、その競争に見合うだけのスキルを日本国民の労働者に無償で教育するのが当たり前ではないのか。その政策は現政府ですら出してない。ところが野党自民党は試行錯誤で案を出している。問題は企業の望む人材をどう教育して成果とするのか、それを経済団体や企業団体とすり合わせしてない点だけだ。この違いは明確でありながら、マスコミすら指摘もしてない。
国家レベルで雇用者のスキルアップを目指さない限り、日本国民の雇用機会は外国人労働者と同等になることはない。

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