The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

陳腐な地方行政になればこまるのは県民や市民じゃないのか?

2009-06-01 19:31:58 | Weblog
さすがにドケチ大阪というか、知事は独立行政法人やら団体に金を出さないと言い出した。まあ、ここまでケチを徹底するのはいいんだが、優秀な国公立大学もある。
それよりも確か万博博覧会記念機構だったかも金を出さないで、数々の記念物がごみ化した。月の石はどうしたんだろうか? まあ、この知事は文化とか歴史とか興味がなくひたすら金だけのようだ。これじゃ日本の商取り引きの元祖とまで言われた大阪がなんか可哀想に見えてくる。なんで大阪の知事っていつもこういった特殊な人ばかりなんだろうか? もしかしたら、こういった大阪気質というのが新しい文化や経済を創るのか?

それでも万博記念機構を無価値とする感覚だけは自分は疑問を持ちたいリーダーだ。なにせ1970年の日本は、東京オリンピックで経済成長を成功させたとみせつけて、次に技術などを見せ付けたと記憶している。子供心に一番興味があったのが月の石だ。ほとんど見えないで一日かけて石をみて、感動したもんだ。大人たちは「普通の石じゃないのか。」とか言ってた。
つくば万博と大きく違うのは、技術の日本、科学の日本という印象を持って後に成功した技術者や科学者は多いってことだ。その記念物を予算がないとごみ化する。
大阪式というのは、儲からなければ即ゴミってことなんだろう。

同じ日本でもこんなに価値観が違う。しいてゆうならコストカッターとして有名になれたとしても後世は、なんと言われるんだろうか? 自分はここまでケチになれない。余裕のない予算案しか運営できないってことは、柔軟性を捨て、緊急時に対応できないことになる。まあ、そんなときには国に泣きつき金頂戴とねだるんだろう。せっかく金の成る木があっても予算減らしに夢中になるようでは、木も枯れる。それと携帯電話を学生から取り上げた張本人でもある。他国では携帯電話や携帯端末を持っていても、そもそも授業中に使うなどしないようにマナーを徹底させるもんだけどね。そういった教育もしないで偉そうに教育論をぶち上げるという矛盾も素晴らしい。携帯電話とは携帯端末は悪じゃない。むしろ、そういった道具をいかに活用するか、生み出す年代は実は大人ではなく子供たちだ。だから、子供がどこにいるかわかる機能や緊急時の連絡など親からすれば便利な使い道が結構ある。リスクというなら、怪しいサイトみたりもあるが、子供からそういったリスクを隠すよりもリスクを教えて回避させる方が本来大人の責任だと思うけどね。

netbookを持ってホットスポットでSkype使うなどは小学生なら当たり前にやっているから、まあ、携帯電話などなくてもいいとは思うけどね。所詮、時代の最先端と言われる道具を知らない大人は子供から遠ざけることで子供を守るって方法しか知らないらしい。危ない、違法、不道徳なんてもんは見本をみせていかにサバイバルするか教える外国とは、違っていつまでも子供を過保護にするから年齢を経ても大人になれないんだろう。

アダルトゲームやら児童ポルノやら、そもそも何を違法とするのが定義があいまい過ぎる。それでもそういった環境を誰もが手軽に手にできる方が問題なのか?
それとも本来そういったコンテンツは存在さるべきじゃないのか?
まあ、法で縛れば、地下にもぐりより価値は増すと思うけどね。むしろ、そういったコンテンツが例えば反社会的、不道徳と教えるか、それとも目のつかないところで逃がすのか。そうやって子供を過保護にすることは、子供に考えることをさせないと思う。だから、なんでも反対とか、不愉快とか感情だけの大人ができあがる。
金太郎人形がパンツはいているとか、男性性器がないってことの方が不自然だと感じないのか? アダルトゲームを規制化するならアダルト映画やビデオも規制化しないと今度はそちらにコンテンツは逃げていくことになる。規制されたり、禁止されるほど人は興味を増して見たくなるもんだ。だったら具体的に定義を作り、それに照らして判断できるような法で規制するべきだろう。それは性を扱う芸術一般にまで影響はでる。浮世絵とか、そもそも日本は性にはおおらかだったんだけどね。
まあ、秘することでまさか結婚率を上げようとかしてないよなぁ、とふっと思った。ちなみにアダルトビデオなどは女性も結構閲覧しているそうだ。だから、必ずしも男性だけが喜び、女性が不快ってことは言い切れないと思うよ。

そのうち不倫は法律で罰則というような、そう昔の姦通罪とか女性団体は言い出しそうだと思ったところ、不倫ドラマの視聴者や小説の読者は女性が多いから言い出さないとわが友は言い切った。ハーレクイーンロマンス的なら許される。

まあ、なんでも物事には多方面からの見方をすればそれが本当なのかよくわかる。
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グローバル化の失敗から学ぶこと

2009-06-01 02:28:10 | Weblog
グローバル化することで、利益を得た国と損をした国というのが存在するなら、それはすでに失敗だろう。経済においても発展途上国はより輸入で豊かになる反面、先進国では輸出が増えて、自国の産業に影響を与えた。すべては製品の価格ってことか?
いや、経済が上向きであれば自国製品で高い価格でも購入する人はいるからそれなりになんとかなっていたんだろう。

地球規模で産業を考えるってのは、最も合理的かもしれない。だから、最終目的として理想を掲げる人も多い。ところが、移民となれば違ってくる。そもそも言語、文化や価値観の違う人が大量に集まれば、それぞれのグループに固まってくる。国の中に小さい言語、文化や価値観の違う集団が存在するんだ。衝突が世界規模から、国内規模への移転しただけだ。

地球規模というなら、いっそ産業別に地域を分けて、その地域の中に2つ以上の価値観をわける。宗教とか言語はそう簡単に変えられないだろうが、共通言語については第一、第二、第三ぐらいまで公用語に定める。こうなるとバベルの塔だなぁ。
大量の人類がすべて協調した場合、たぶん、なんらかの自然災害などが発生したら生き残れずに人類全滅となるのか?

多種多少性のメリットとしては、ある意味競争させて、生き残った価値観を最大数として方向性が決まる。だからこそ、すべてが同じ価値観にならないってのはある意味いいことなのかもしれない。まあ、地球は人類のモノじゃないからなぁ。
勝手に人間が支配しているだけだが、自然までは支配できない。

経済危機でどの国でも保守化が強くなってきている。何故なのか?
不安を感じれば、個人単位でも保守化する。それがまた集団でも同じってことだろう。そのまま国内で不安解消を目指して経済発展や治安維持を実現できたとしても、外因として外国からの有事やら貿易摩擦という現象が発生する。
ここで貿易は保護貿易にならないことが世界規模の経済発展には重要と言う。
ところがこれも極端になれば国内経済の発展に影響が出る。競合産業の貿易はそもそも利益を産まないのだから、保護貿易にならないと思う。あとは製品価格の差か。製品価格はそりゃ人件費が安ければ安い製品となる。輸入は増える。国内製品とのバランスを考慮して関税をかける。ここでこの関税を自由貿易ということでなくした結果、国内産業は圧迫される。うーん、だけど関税で得た収入を国内産業へ補助金なりで還元すればどうなんだろうか? 

自由貿易のコンセプトはいいとしても、各国が独立して経済や産業を発展させるための障壁となるなら、ある意味関税は必要なんじゃないのか?自由競争であれば、製品の質やら機能やらで消費者が判断するから国内産業が圧迫されないって理論なのか? だけど、国によって消費者が製品に求める要件は違うんじゃないのか?
どちらにしても消費者が国内経済とかまで考えるほど賢いのか、と言えば、そうでもない。だから国に管理してもらう羽目になる。
先進国がより経済発展するには、何をすればいいんだろうか? 輸入製品の価格と競争はできない。品質や機能となればこれも最低限で考えると競争力にならない。
だけど外国の製品よりは国内消費者の要件など細かい部分のマーケティングから得る情報は有利だろう。それでもどこに競争力を見出すかだなぁ。
貿易の未来はどうなるのか? 資源を輸出して外貨により国内経済を支える国、資源を他国から外貨で購入して加工して外貨を得る利益で国内経済を支える国。まあ、こんなところか?
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