The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

安心社会の実現を信じて国民は実現するまで監視すればいい。

2009-06-25 22:17:29 | Weblog
首相が発表した5つの安心社会のビジョンこそ、新しい日本が向かう方向だ。
これでも不満を言うならば、一体何が不満なのかを明確に反論してみて欲しいもんだ。日本国の主軸は、間違いなく日本国民の経済活動だろう。どう考えても外国人の数の方が少ないのだから、国民が経済活動を活性化させることが何よりも内需拡大になる。同時に首相が発表した雇用政策。それも従来の終身雇用だけではなく、期間雇用というか、派遣など雇用形態の多様性を踏まえてた社会保障政策こそ、今後の日本には必須だろう。結婚して育児をしてもやがては労働へ戻るという選択もこれで可能になる。同時に社会人の教育についても触れている。

このビジョンが実現できるかというのは、政治ではなく、国民が支持するかで決まる。自分たちが幸福になりたいなら、それを得るためには自ら選択して行動するしかない。まあ、土台は政治が整えるとしてもそれを最大に活かせるかどうかは国民であり、労働者あり今の自分たちのような一般の人々でしかない。社会がきちんと腹をくくり本当に自分たちにとって住みやすい生活を確保するには、何も労働闘争やデモは不要なんだ。声を上げるだけでは何も変わらない。個々がしっかり何をしたいのか、そのためにはどうするのか考えて、一歩踏み出すことだ。
それを今回ははっきりと語っていると思えた。

メディアはこれを報道するのに文字しか読めず、その意図も背景も読み取れない。
これは日本における日本語レベルの低さを現しているんだろう。
そういった意味では外国語教育以前に、コミュニケーションをするための言語としての日本語教育は小さい頃から絶対的に必要だとも感じる。
母国語でしっかり自分の意見も表現できなければ、いくら外国語を覚えたところでまともな意見など話せる訳もないからだ。
バイリンガルと言われるが、必ず思考するときの言語ってのはひとつしかない。
単語は置き換えられてもきちんと高度な論理を組み立て反駁などするとなれば、やはり母国でないととてもじゃないがスピードがおいつかない。
この現実を忘れて外国語教育を母国語以上に優先するのは、いかがなものだろうか。各ゆう自分もその一人。まあ、それでも英語だけの中に入れば、これほど自由に自分の意見を言えるのかと言えば、難しい。どれだけの文書、会話、単語を入力して出力しているかでどちらが自分の言語なのかが決まるように感じる。

経済や産業界にしても労働者が健康で活気があることが何よりも生産性を高める。
それを理解してくれるようになれば、労働者と経営者の距離は縮まると思う。
共産主義や社会主義とは違う、独特な日本的社会主義構造と呼ばれるメリットは、まさにこういった連帯感だったのではないだろうか? 会社に忠義を尽くすとまで表現された時代を経て、働き蜂から今度は、家族と仕事というバランスをいかにとっていくか、それが雇用者の課題でもある。
先日、子育てのための時間短縮労働についての政策が決まった。これはすごい進歩だ。この制度を各企業が確実に実施するためにも最低生活保障となりうるセーフティネットを早急に審議して実施して欲しい。

こういった土台になることを確実に実現していくことで、新しい日本モデルとなり、かつ成功例となれば、人種、性別、年齢による差別の壁は壊れていくことになる。人類は小さい地球という星で共存共生している。それを実感するには、誰もが心に余裕を持たなければ、自分以外のことなど考えることはできない。
その例が世界にはたくさんある。他人を見てわがフリ直せ、とはまさに日本人自身なんだと思う。

補足:献金疑惑などどうでもいい。別にそういった政治家があと10年も現役で政治家やっているかもわからない。なのにメディアは喜んで記事にするし、それを読者も喜んで読む。なんてつまらないんだろうと思う。自分はトヨタの新社長の記事の方がずっと喜んで読んだ。世界のトヨタと言われた会社が方向転換を発表した。
これって大事件だ。地域に貢献し、赤字をなくすという厳しい目的を掲げるなどさすがに世界のトヨタと言われただけはある。是非、成功して欲しい。
正義とか不正をなくす、と言葉で言うのは容易いが、そもそも不正とは法的不備なのか、故意で法律を破るのかでは大きな違いがある。ところが管理が厳しいのもほどほどにしないと結局は抜け穴だらけで効果は下がる。ならばどうするかと言えば、定期的に厳しく管理し、緩やかに自由にさせるという手法を繰り返すしかない。集団に最大の効果を出させるのも同じで、ある意味厳しい管理と目標をあたえて尻を叩き、ときには褒める。休息は最低限でいい。あまり休みすぎるとこれまたリズムが狂い戻れなくなるからだ。
人間も機械も動き続けるから故障が減るってシステムなのは間違いがない。
むしろ心の問題が肉体的障害より増えているのは、個人がしっかり思考できないからじゃないかと思う。楽しいってのは快楽であり、そこに思考はない。まあ、麻薬中毒と同じだから止められない。自分の意思で制御できないんだなぁ。
そのイライラが不満になり自分や他人を攻撃しだす。
金がなくても飯が食えて、寝床があれば自分はそれだけでもいいんだけどね。
毎日空を眺めるだけでも最高の幸福感を感じる。ただし、これが人生ずっとだときっとたいくつで生きるのが嫌になるんじゃないか、と感じる。限定された自由だからこそ、休日は楽しいんだよね。まあ、嫌なこともあるが仕事ってのも日々いろんなことが発生してそれはそれで楽しい。仕事中毒と言われるかもしれないが、恋人や家族といるのはリラックスモードというなら、仕事はまさに戦闘モード。
勝負ってのは勝つためにどうするのか、その緊張感がないとリラックスする楽しみも軽減される。

定年後、ボケが始まるってのはまさにその緊張感がなくなることだ。それで知りたいのおじさんたちは、最近将棋、碁にせいを出す。自分は昔からチェス。なかなか楽しい。たかがゲーム、されどゲーム。人生も同じでたかが人生、されど人生。
主役はみな自分自身。それを忘れていては絶対に人生を最大に楽しむことはできない。人の不幸は蜜の味かもしれないが、自らが望んで勝負に挑み勝ったときの味は他人の不幸どころじゃない最大の媚薬なんだ。それを知るかどうか。
別に名声とか富がなくても勝負は人生においてどこでも遭遇するし、転がっている。それに気付くかどうかは、本人次第。

地球という環境を考えるなら戦争こそCO2を増やす。資源の争奪戦って欲望闘争からいいかげん人類も卒業したいもんだ。誰もが人より楽になりたいって思うから、利益争奪の争いとなる。資源が不足するなら、代わりを考えるとかした方がうんとメリット大きいなんて考えないんだもんなぁ。日本人のメリットは、戦後苦しみと共に経済成長による資源不足や食料不足で死に瀕するという事態には合わなかった。
だから、気楽とも言える。まあ、戦争よりいかに生き残るかって考えられる発想ができると思うだけどね。

コメント
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