The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

グローバル化の失敗から学ぶこと

2009-06-01 02:28:10 | Weblog
グローバル化することで、利益を得た国と損をした国というのが存在するなら、それはすでに失敗だろう。経済においても発展途上国はより輸入で豊かになる反面、先進国では輸出が増えて、自国の産業に影響を与えた。すべては製品の価格ってことか?
いや、経済が上向きであれば自国製品で高い価格でも購入する人はいるからそれなりになんとかなっていたんだろう。

地球規模で産業を考えるってのは、最も合理的かもしれない。だから、最終目的として理想を掲げる人も多い。ところが、移民となれば違ってくる。そもそも言語、文化や価値観の違う人が大量に集まれば、それぞれのグループに固まってくる。国の中に小さい言語、文化や価値観の違う集団が存在するんだ。衝突が世界規模から、国内規模への移転しただけだ。

地球規模というなら、いっそ産業別に地域を分けて、その地域の中に2つ以上の価値観をわける。宗教とか言語はそう簡単に変えられないだろうが、共通言語については第一、第二、第三ぐらいまで公用語に定める。こうなるとバベルの塔だなぁ。
大量の人類がすべて協調した場合、たぶん、なんらかの自然災害などが発生したら生き残れずに人類全滅となるのか?

多種多少性のメリットとしては、ある意味競争させて、生き残った価値観を最大数として方向性が決まる。だからこそ、すべてが同じ価値観にならないってのはある意味いいことなのかもしれない。まあ、地球は人類のモノじゃないからなぁ。
勝手に人間が支配しているだけだが、自然までは支配できない。

経済危機でどの国でも保守化が強くなってきている。何故なのか?
不安を感じれば、個人単位でも保守化する。それがまた集団でも同じってことだろう。そのまま国内で不安解消を目指して経済発展や治安維持を実現できたとしても、外因として外国からの有事やら貿易摩擦という現象が発生する。
ここで貿易は保護貿易にならないことが世界規模の経済発展には重要と言う。
ところがこれも極端になれば国内経済の発展に影響が出る。競合産業の貿易はそもそも利益を産まないのだから、保護貿易にならないと思う。あとは製品価格の差か。製品価格はそりゃ人件費が安ければ安い製品となる。輸入は増える。国内製品とのバランスを考慮して関税をかける。ここでこの関税を自由貿易ということでなくした結果、国内産業は圧迫される。うーん、だけど関税で得た収入を国内産業へ補助金なりで還元すればどうなんだろうか? 

自由貿易のコンセプトはいいとしても、各国が独立して経済や産業を発展させるための障壁となるなら、ある意味関税は必要なんじゃないのか?自由競争であれば、製品の質やら機能やらで消費者が判断するから国内産業が圧迫されないって理論なのか? だけど、国によって消費者が製品に求める要件は違うんじゃないのか?
どちらにしても消費者が国内経済とかまで考えるほど賢いのか、と言えば、そうでもない。だから国に管理してもらう羽目になる。
先進国がより経済発展するには、何をすればいいんだろうか? 輸入製品の価格と競争はできない。品質や機能となればこれも最低限で考えると競争力にならない。
だけど外国の製品よりは国内消費者の要件など細かい部分のマーケティングから得る情報は有利だろう。それでもどこに競争力を見出すかだなぁ。
貿易の未来はどうなるのか? 資源を輸出して外貨により国内経済を支える国、資源を他国から外貨で購入して加工して外貨を得る利益で国内経済を支える国。まあ、こんなところか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 有事緊張時に外国人参選権を... | トップ | 陳腐な地方行政になればこま... »

Weblog」カテゴリの最新記事