The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

民主党が小沢元党首を信じると言った、信じるの意味とは何か。

2009-06-20 15:08:24 | Weblog
今更、有罪と言われても後に引けないから、「信じる」という言葉を使うだけだ。
国民は決して小沢元党首がクリーンだなんて誰も信じない。せいぜい、法律的に証拠不十分な推定無罪になるってぐらいでしかない。
これをクリーンというなら、犯罪を犯しても証拠不十分で推定無罪なら、問題ないって言い切る道徳感だろう。

日本国の国民の生活第一といいながら、外国人の立場にたった政策しか出さない民主党は、本当に日本語を知らないとしか言えない。少なくても韓国も中国も国民ありき、ってのは当たり前だというのに、何故日本はいつまでたっても国民は後回しにされる法案ばかり考えるんだろうか?
それも違法滞在者をすべて合法滞在に変えるなんて無謀なことまで言い出す始末。
そんなこと言えば、ますます違法滞在者が増えて、合法で滞在している外国人たちは肩身が狭くなる。彼らだって文句を言いたいとしてもそういった意見を受け付ける団体はない、と言ってた。確かにないよなぁ。だって、日本に不満があればさっさと母国に帰国する。簡単に帰国できないのが、国際結婚している外国人たちだ。
将来の子供を考えて、選挙権が欲しいというならば、条件付きで認めてもいいと思う。条件付とは、出身国と日本国間の利害に相当する案件に対して地方行政のみでは判断はできない、という法律を作ればいいだけじゃないのか? 

まあ、米国ですら南米の国境に近い州では今ではスペイン語が標準語になっていると愚痴っていた米国人もいるぐらいだからね。
しかし、インド人からすれば公用語を複数認めれば、いいだけだそうだ。
確かにインドの紙幣には20言語だかで文字が記載されているぐらいだからなぁ。
日本という小さい島でいろんな言語や人種が住むには、地域で分けるって考え方なら、共生もできるかもしれないが、内戦とかも発生しそうだなぁ。

日本に長期滞在したい外国人の理由って大半は安全をプラスと考え、物価高をマイナスと考える。差別というなら、むしろ言語の問題がほとんで、日本語が話せる外国人の場合は、差別感はない。せいぜい、習慣が違うので「なんであれこれ細かいことまで図々しくたずねるのか。」という問題の方が多い。
そして合法で滞在している外国人は違法滞在者に対しては甘くない。それぐらい世界という規模で考えると違法滞在者は強制退去というのがあたり前なんだ。
別な言い方をすれば、常識となっている違法滞在者の問題を日本だけが合法に転換などさせるってのは、どうなのかなぁ、と思うだよね。どこかが決めたルールを無視した対処をすれば、各国で同じような運動ははじまると思うからだ。
なにせ米国ですら未だに違法滞在者を合法化して滞在ビザを出すことに反対している数の方が多い。理由は、合法で滞在できるのだから、きちんと手続きをしろってことだ。そこで却下されるなら、すでに滞在することは国家の法律で認めてないことになる。

先の国際結婚の場合は例外といったのは、子供たちは成人になるまでは二重国籍を保持している。しかし、日本はこういった子供たちに成人後も二重国政を保持することを許さない。これだけは改善して欲しいもんだね。実際に年老いた両親を面倒を見るのに離婚してもらった場合、どうちかの国に引き取らないととてもじゃないが面倒見れない。少子化は日本だけではなく世界規模で増大しているから、老後の両親の面倒をどうするか、というのは日本だけの問題じゃないんだよ。
そういった場合も子供が身元保証人として生活の面倒を見るなりの条件を達成できれば永住権を認めてもいいんじゃないだろうか、と思う。

移民を考える場合、先ず法的に違法だった場合は、法律を改正しない限りは法に従うべきだろう。また、改正する場合も日本だけではなく世界への影響も検討するべきだろう。
ここまでも考えてない民主党や自民党の一部議員による国籍法改正とか、外国人参選権がいかに日本国民を無視した法律なのかがよくわかる。
つまり国際結婚という合法による滞在権に対しては自分および家族のために国家をどうするのか、という判断をする権利は認めるべきだと考えている。
なにせ、将来は彼らの子供たちだって日本人として国家を支えてくれるかもしれないんだからね。
ところが、国家に税金を納めてきたとしても日本人が望まない習慣や思想を強制的に日本人に実施させるって点だけは拒否したい。そんなに母国の言語、習慣、思想がいいなら、母国で生活してもらってもいいんじゃないか?
日本人が日本語、習慣や日本の思想を感受できるのは日本国しかないからだ。
だから、不満なら出て行ってくれ、ということになる。

かつでニンニク臭が生理的に駄目な自分は韓国人と納豆臭とどちらが害かって喧嘩したことがある。判定は日本と韓国以外の人間だったが、双方共「耐えられない悪習」となった。ところが味は双方共「うまい。」というのが何人かいた。
この判断をさせたのは英国人の教師だが、感想をまとめたところ「自分に取って快適でも他人には快適じゃないってことを知って欲しい。その上で、どう対処するのか考えましょう。」とディスカッションをさせた。結論はランチには納豆もキムチのほかにも強い臭いの食べ物は持ってこない。さて、この強い臭いって何を持って判断するのか、という疑問を未だ自分は持っているんだけどね。
それでもいつのまにか子供の間には「この臭いはどうだ?」とランチ時間にくんくん臭いをかいで、味見までするようになったおかげで、オープンランチ(BBQ)には各国の料理を味わえるようになったメリットがある。
アプローチをどうするかで、結果は異なるといういい経験だった。

この先生は典型的な英国人の教師だったようで、服装、言葉使い、態度には大変厳しくていつも生徒の親と戦っていた。しかし、先生は「誰もが快適に過ごすための言葉使いや態度を教えることこそ教育です。」と言ってうちの親は素晴らしいと褒めていた記憶はある。しかし、子供にとっては、「早く先生変わらないかなぁ。」というぐらいに嫌われていた。それが生徒が大人になると不思議にこの先生のことがなつかしくなるようで同窓会とかでも毎回誰かが叱られたときの話しで盛り上がる。この先生がいつも言っていたのは、お互いに信頼するためには先ず自分が信頼されるにはどうしたらいいのか、それを相手と話し合うことだ、という言葉だ。
愛は信頼がなければ存在しない。信頼は愛がなければ成立しない。
Give and Takeというのは、人間関係の基本であり、giveだけ、takeだけでは双方の信頼関係は気付けない。
つまり一方的な信頼とか、愛ってのは成立しない。






コメント
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