38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

野村町で、ほんの少し。

2018年07月13日 | 農と暮らしの日記
実働3時間弱の、書くのもお恥ずかしい「支援」なのですが。
記録としてメモしておきます。

当日の7/13(金)の日付でアップしますが、書いたのは7/17(火)。

金曜、終日の晴天、高温。
7時半過ぎ、保育園の納品、フジグラン西条の陳列チェック(新たな出荷はなし)。
そのまま、いつもよりかなり早い時間帯で市内で野菜セットの配達。

8時半過ぎ、西条市の社会福祉協議会に電話し、ボランティア保険の手続き問合せ。
9時前に社協(総合福祉センター内)で手続き、小走りで1分の郵便局で保険料350円の振り込み、社協に戻って手続き完了。

いったん帰宅し、9時半過ぎに軽トラで出発。
西予市のボランティアセンターに問い合わせたところ、個人からの物資の受け入れはしていないとのことなので、自分の水と食糧・身の回り品とスコップ類のみ積んで。

10時に伊予西条ICから松山自動車道に乗り、1時間ちょっと、11時ごろ大洲着。2,090円。
通り抜けした大洲の市街地は各所で浸水被害の後片付け中。

どうやら道を間違えて大洲の山の中へ。
肱川沿い、眼下に泥に埋まった水田地帯、ここでも各所で浸水被害の家財など搬出作業中。
道を尋ねるも、地元の人ではない支援の方たちらしく、わからず。

某所で再び尋ねると、「そっちに帰るところだから」と途中まで先導で案内してくれる。
56号から441号に入り、野村町まではわかりやすく走りやすい一本道。

野村ダムに出て、12時過ぎ、野村町の中心部へ。
この日から?、朝だけでなく午後の受け付け12~13時があるとのこと、ただし、朝の受け付けだと駐車~送迎のある野村運動公園には午後受け付けの場合は便がないとのことで、直接ボランティアセンターのところまで車で来てほしいとのことだったので、進んでいると、たまたま信号待ちで前に西予市社協の車が停車したので、降りて尋ねたら「ついてきて」とのこと。

センター近くのJAの駐車場に駐車し、センターまでその車に同乗させていただく。
そのままボランティアの手続き。朝の電話では「軽トラあり」の申告に特に返事はなかったが、ここで「軽トラ歓迎」の返事あり。

15分ほど待ち、12:50からオリエンテーション。
午後の受け付けは40人ほど。13時から、2~3班?に分かれ、主に徒歩で支援先のお宅や店舗などへ。
僕は「軽トラあり」なので、班に入るのを見合わせておいて、最後にスタッフの方にその旨伝えたら、処理品の搬出の必要な家に案内してくださる。
野村は被災地が中心部(旧野村町の市街地)に集中しているらしく、変な言い方だけど、便がいい。

最初の搬出はタンスやソファなど大型家具(分類は粗大ごみ)。
仮置き場の場所がわからなかったのでセンターで尋ねたら、ケアマネをされているという方が助手席に乗って案内してくださった。
道中、災害時の様子な貴重な話をいろいろと伺う。

粗大ごみの置き場はダム近くのレストラン?のあたり。
前日までの置き場はすでに満杯で、どんどん変わるとのこと。現地での荷下ろしは西予市の消防団の方など。

戻って、あと2回の搬出は紙ごみ、不燃ごみの混合。
分別しないといけないのでは?と思ったけど、これでいいという感じだったので、そのまま今度はすぐ近くの交番裏の置き場へ。
西条市から派遣された市の職員さんの姿もあり。

2往復したら、もう15:30。
現地に来てわかったのだが、午後の活動時間は13時~15時で、15:30までに片付けて解散という日程。
途中、当家の方が冷たい水とミニトマトをくださった。

16時ごろ、センターに戻ってボランティア証(上腕に巻くシール)を返却。
翌日も昼頃まで働くつもりだったので、ボランティアらが駐車して車中泊やテント泊ができると聞いていた運動公園へ。
ところが、ここのトイレもこの日から水が止まり、使用不可とのこと。となると夜を越すには不適なので、いったん中心部に戻り、センターで適当な場所がないか尋ねたところ、あちこち聞いてくださったが、旧野村町内では難しいとのこと。

隣の町でレストランの駐車場にトイレのあるところがあるとのこと。
その線で行こうと思ったが、また30分ほど走ることになり、さらに、その時まだ17時前で、明朝の受け付け開始が8時半ということから、15時間も現地で無為に過ごすことを考えると被災地に要らぬ負荷を与えることになる気がして、今日のところは撤収と決めた。
帰路は2時間弱、1つ手前のICで下りたので、1,760円。
(その翌日か翌々日から、被災地支援の車は証明書発行で高速代が免除されている)

実働わずか3時間弱のボランティア。
現地および途中の皆々様には大変お世話になりました。



作業中、野村高校の野球部員たちが帰ってきた。
尋ねたら、この日の県大会の1回戦でコールド勝ちし、作業の手を止めた町のみなさんから祝福を受けていた。
被災後は練習そっちのけで後片付けなどに奮闘していたという。

この日の対戦相手は新居浜西。渚が卒業し、今は真が通う。
ということから、対戦相手の野村に支援に行こうと思ったわけなんですが。新居浜西は球場で野村高校にエールを送るとか言ってたけど、これじゃ逆だ。
めちゃくちゃ頼もしい兄ちゃんたち。
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