できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

時間がないなか、言いたいことがたまる一方(2)

2010-05-26 19:02:58 | 受験・学校

アクセス2万回は達成したというものの、あいかわらず本業やいろんな活動に追われて、なかなかこちらのブログの更新にまで手がまわらず、悪戦苦闘の連続です。

そんななかでも、今の子どもの教育や福祉、あるいは子どもの人権に関する取り組みについては、自分なりにいろいろと言いたいことが次々に出てきますね。

たとえば先日、公教育計画学会の大会に出席してきました。そこで直接話を聞いたわけではないのですが、研究発表の要旨集を見ていると、イギリス社会における学校の「拡張サービス」に関する報告の要旨がありました。

この「拡張サービス」とは、ブレア政権以来、イギリス社会において学校を入り口にして、社会教育・児童福祉的な諸サービスの提供が行われているというもの。たとえば、学習サポート、親へのサポート、朝食クラブ、工作や音楽、演劇などのクラブを提供するといったもののようで、こうしたサービスを年間48週(休業中も含む)、朝8時~夕方6時まで受けられるようにしているそうです。

で、正直言って思ったのですが、「これに近いことは、日本の学校はすでにやってるのでは?」ということ。たとえば中学校の放課後のいわゆる「部活動」だとか、大阪市内の小学校で行っている「放課後いきいき事業」。あれってこの「拡張サービス」ですよね。あるいは最近、私の知る限り、大阪府内の小学校のなかには放課後や長期休暇中に子どもたちを集めて、宿題の面倒をみる活動をボランティアの協力を得て進めているところもあるとか。これなども、「拡張サービス」といってもいいかもしれませんよね。そう考えると、「まだ、やっていない」というのは、朝食を子どもたちに提供するような活動くらいでしょうか。

イギリスが日本に学んでいるのか、それとも日本がイギリスをまねているのか。それはよくわかりません。ですが、こういう例を見ていると、ある種「新自由主義」的な発想にもとづく教育改革の進んだところで、学校に子どもの教育や福祉に関するあらゆるサービスを集中させていく傾向が進んでいる、という見方もできなくはないですね。

ただ、そのうえで私は思うのですが、「なんでもかんでも学校に子どもに関するサービスを集中させて、いいのだろうか?」ということ。どうしても不登校の子どもたちへの支援を研究・実践面での課題にしてきた私にしてみると、「学校に行けば何もかも得られるけど、そこからドロップアウトしたらすべてを失う」というようなシステムは、個々の子どもにとって「かなり、リスクが高い」ようにも思うのです。何らかの事情で学校に行けない、行きづらい状態になれば、子どもたちにとっては「必要な支援が何も受けられない」ということにもなりかねないからです。

そう考えると、一方で学校に集う子どもたちの現状から発想して、さまざまな福祉サービス等々を学校に付け加えていくことをしつつも、もう一方で、「学校からドロップアウトしそうな子ども、すでにそうなってしまった子どもの教育・福祉的ニーズをキャッチし、支援するシステム」を構築する必要があるようにも思うのです。それこそが、子どもの生活支援という面で、セーフティーネットの機能をはたすものになるのではないか、とすら思ってしまいます。

だから、学校にさまざまな機能・サービスを付加していく議論を「やめろ」とまでは思いませんが(現実的に必要なことも多々ありますので)、その一方で、「子どもの生活支援に関するセーフティーネットの構築」についても、徹底した議論が必要なのではないか・・・・と思う今日この頃です。

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