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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

本当に「オルタナティブな教育」を考えるには、この「悪循環のスパイラル」を断つことから

2016-02-13 13:01:46 | 受験・学校

都教委、高校定時制4校の廃止決定!~教育委員はいいなり 反対の声は無視(レイバーネット、2016年2月12日)

http://www.labornetjp.org/news/2016/0212yumoto/newsitem_view

この記事を読んで思ったことを、こんな感じで、例の「オルタナティブな教育」とか「多様な教育機会確保法案」の話とも関連づけながら、以下のとおりまとめてみました。一部、フェイスブックに書き込んだこととも重なりますが、加筆修正しています。

 

まず、このような定時制を含む公立高校再編計画(=という名の学校リストラ計画)がすすむと、他方で今までそこに通っていた子どもの「受け皿」が必要になります。

そこに、私立通信制高校(株式会社立含む)や大検(今は高卒認定試験)のサポート校などのニーズが広がってきます。ここはここで、子どもの数が減る中、民間(私立)どうしのパイの食い合いは必死でしょうね。

と同時に、「再編対象になりたくなければ、特色と実績あげなさい」と公立高校側は言われ、ある学校は受験特化型、ある学校は「アクティブ・ラーニング」とか「スーパーイングリッシュハイスクール」とか、ある学校は「学び直しニーズへの対応」とか・・・。まあ、より一層の「改革努力」を迫られるわけですね。

で、特色と実績をあげるための準備に公立高校教員が四苦八苦して、部活がものすご~く負担に感じたりするようになるわけです。

そうすると、そこに部活の外注化というニーズが発生して、またスポーツクラブのインストラクターたち派遣業とか、カルチャーセンターの講師派遣業みたいな仕事が広がってきます。

で、そうやっていろんなことを外注化していきますと、ますます教員の仕事は教室のなかの授業改善やカリキュラム開発に集中することになりますが、そこにさらに「特色と実績をあげろ」というプレッシャーがかかるわけで・・・。

教員を疲弊させる教育改革の進展⇒教員の多忙化⇒外注化ニーズの発生⇒安心して外注できるシステムの整備⇒教員をより教育改革の枠内での仕事に従事させ、さらなる疲弊をもたらす⇒さらなる外注化ニーズの発生・・・。

こういう悪循環のスパイラルがはじまっているように思えてなりません。

もうそろそろ、私たちがこの悪循環のスパイラルからどうやって逃れるか、ということ。そこを考えていく必要がありますね。

いま求められる「オルタナティブ」って、本当はそういうことでしょ?

この悪循環のスパイラルのなかで「安心して外注できるシステム」の一角に食い込むことじゃないと思うんだけどなあ。

でも、いまここに描いたような悪循環のスパイラルに気付かないでいると、なんかよさそうに見えるんですよね。「多忙化解消のために」とか「学校が行き詰っているから」とか「~しよう」という話が・・・。

※ちなみに私の印象では、今のフリースクール系の人々やこれを支援する子どもの人権論関係者も、この悪循環のスパイラルを構築する一部に組み入れられてしまっています。

つまり「今の学校ではもうだめだ。子どもは暮らしづらい」と考えて、その「外」に子どもの居場所や学びの場をつくろうとしているわけですから、立派に「外注化」ニーズに組み込まれています。

また、熱心に「教員の多忙化」を「部活動の負担」問題から説く研究者(=その代表的な人は、例の組体操問題でも有名な方ですが)や現場教職員も、表層に現れた課題の指摘や苦情を訴えることはできても、この「外注化」ニーズに自らが組み込まれていること自体にあまり気づいていません。

だからこそ、こういう人々は政権与党や文科省的には「安全パイ」で、彼ら彼女らには「どんどんマスコミで情報発信してほしい」のでしょう。

なにしろ「悪循環のスパイラル」を有効活用して、既存の公教育体制を解体・再編したいという政権与党や文科省のニーズに、彼ら彼女ら、かなりマッチしているわけですからね。

それだけに、この「悪循環のスパイラル」が生み出している「教育の病」は深い、ということです。

 







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今度は「多様な教育機会確保法案」に思うこと。(2) ―もっと「フェア」に議論してほしい―

2016-02-13 11:58:07 | 受験・学校

超党派議連 フリースクールの義務教育みなし規定削除 (教育新聞 2016年2月12日)

https://www.kyobun.co.jp/news/20160212_01/

もしかしたらこの記事、有料(あるいは登録制)になっていて、読める人が限定されているかもしれません(私は新聞の購読者(WEB版含む)なので読めますが)。

私がこの記事でひっかかったのは、法案の内容もさることながら(いろんな関係者スジから聴く限り、「これ、作る必要あるのか?」とも思ったりもする)、この法案の作成過程の不透明さです。

とにかく、「フェアじゃない」と思われるわけですね。

この法案、どう転ぶにせよ、学校教育法一条校ではないところに子どもが通っても義務教育として認められる道をつくるという意味で、国民としての子どもの学ぶ権利の保障のあり方を大きく変えるわけですよね。あるいは、その子どもの保護者の就学義務のあり方も、就学義務関連の地方教育行政の事務形態等々も、それにあわせて大きく変わるわけで。

そういう大きく、かつ重要な学校制度の変更に関わる法案が、一部の議員が超党派で集まって、「非公開」で検討されているわけですよ。

もちろん、一部のフリースクール関係者とか、これを支持する教育学研究者とかの意見くらいは聴いているんだろうと思いますが。

でも、そういう大きく、かつ重要な学校制度の変更に関わる法案が、一部の人々の手で「非公開」で検討されているって、何か「ヤバく」ないですか?

それだけで、「この議連に参加する国会議員たちと推進派の人々の裏に何があるんだろう??」という疑念を私は抱いてしまいます。

大事な法案ならマスメディアを通じてオープンに、堂々と、自分たちの主張をすればいいのではないですかね?

で、いろんな批判がでるわけですけど、それに対しても自説を堂々と主張して、説得すればいいのでは?

なんか、こういう部分で、不透明さを感じますし、「フェアじゃない」と思うんですよね。

特に子どもの権利の保障に熱心に取り組んできた人たちが、こういう「フェアじゃない」議論の進め方をするのには、違和感を抱きます。


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