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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

一連の組体操をめぐる議論に思うこと(4) リスク管理論は行政権力の介入容認に結びつきやすい?

2016-02-10 11:22:12 | 受験・学校

事故多発の組み体操、安全策を要請へ 文科省、各教委に(朝日新聞デジタル2016年2月10日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ294SV3J29UTIL01Y.html

この朝日新聞デジタルの「組体操」問題の記事を読みますと、ここへ来て、教育行政による組体操の規制賛成派とそうでない人々の主張や論点、それぞれの課題がかなり整理されてきたように思います。

なかなか、いい記事だなあと久々に新聞を読んで思いました。

と同時に、このような形で朝日新聞がそれぞれの主張や論点、課題等を整理してくださったおかげで、あらためて規制賛成派の何に私が違和感を抱いてきたのかも、かなり明確になりました。

前々からうすうす「これって、ヤバいんじゃないの? 教育行政による学校現場への介入を容認し、教職員の実践の管理・統制、さらには子どもの暮らしの管理・統制の拡大にまで至るんじゃないの?」と、組体操の規制賛成派の論理に警戒感を示してきたわけですが・・・。

やっぱり今回、この記事での規制賛成派の研究者の見解を読んで、あらためてその「ヤバさ」に気づきました。

要するに、重大事故防止や危険回避という「子どものリスク管理」の議論を純化・徹底すればするほど、教育行政という行政権力の現場介入を容認し、現場への管理・統制を強めていくということ。

そのことが生み出すリスクへの懸念が、実は子どもの重大事故防止や危険回避について、リスク管理論的な立場からは「まったく、意識されていない」ということの問題性ですね。

そこに私、「ヤバい」と思って、違和感を抱いてきたんですよね。

もう少し具体的に、どぎつく言えば、「子どもの命や安全を守るためなら、子どもと子どもに関わるおとなの生活の隅々まで管理してしまうような全体主義、監視社会、あるいはファシズムも容認するのか? これもまた『教育』同様、『子どもを守りたい』という『善意』による『支配』ではないのか? そちらのリスクについてはどう考えるのか?」ということです。

それこそ、今まで些末な校則をもとに頭髪や服装の指導を厳しくするような、いわゆる「管理教育」が学校に行なわれてきたわけですが、あれもまた「子どもが問題行動に走るリスク」を回避するために、学校が「教育」の名の下で「善意」で子どもたちの暮らしを隅々まで管理・統制しようとしてきたわけですよね。

そういう学校の「教育」の名の下での「善意」に対して、この規制賛成派の研究者は、とても強い嫌悪感と批判的な意識を向けてこられたわけでして(そのことは至極、まっとうな意見だと思いますが)。

でも、ご自分たちが今、「子どもを守りたい」と思ってしている事故リスクの管理論には、そういう「善意」の持つ危うさ、ヤバさに対する自覚はあるのでしょうか?

そして、「子どもを守りたい」という一心であれば、どんな政治権力・行政権力とでも「手を結ぶ」のでしょうか?

今の政権与党だとか、あるいは文科省や今の地方教育行政だとか、そういう政治権力や行政権力に対する警戒感はないのかな・・・?

そういうことに対して、私は「ヤバい」と思って、違和感を抱いてきたんだなあ・・・ということが、あらためてこの記事を読んでわかりました。

ちなみにこの記事で規制賛成派として出てきている研究者とも、それに懸念を示す研究者とも、私、面識があります。

<追記>

ちなみに私は今年の9月、例の安保関連法案が国会で無理やり可決されたとき、こんなことをブログに書きました。

このときの思いは今も変わってないし、ここへきてますます、安保関連法案の可決・成立には表だって批判の声を挙げず、組体操のような問題では「学校のリスク管理」とかいうてきた熱心な研究者、専門家諸氏のあり方について、私は「冷ややか」な目線で見ていこうと思いました。

<以下、引用>

これから、つきあい方を変えます。(2015年9月19日)

http://blog.goo.ne.jp/seisyounenkaikan/e/44bc1bb4e7446c8538aa7e5baf7c069b

 このたびの国会での安保関連法案の成立に関して、付け加えて言っておきます。

それから日頃、子どもの安全・安心の確保とか、防災とか、学校のリスク管理とかいうている研究者、専門家諸氏。

 あなたたちが、この国に暮らすありとあらゆる人々を戦争やテロの危険性、リスクにさらすことになった法律が、あんなむちゃくちゃな手続きで可決・成立してしまったことに対して、抗議行動どころか、な~んも発言しなかったとしたら・・・。

 私は、そんな研究者、専門家諸氏のやってきた取り組みについて、その学問的成果や専門家としての力量を全面的に否定はしないものの、部分的・限定的なものとして冷ややかな目線で見ていくこと、今後のかかわりについても同様に部分的・限定的にして、距離を置いてつきあうことを、ここで明確に言っておきます。

 以上、2つめの今日のうちに言っておきたいことでした。

<引用おわり>



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