この間、私は、例えば企業コンプライアンス(法令遵守)論関係の本や、企業の経営戦略論の本、さらにはこの間の行財政改革の結果、労働の現場がどう変わったかを扱った本、地方自治体の行財政改革で用いられる各種の手法を批判的に検証している本などを読んでいる。
言うまでもなく、いま、大阪市の行財政改革を推進している人々は「官から民へ」と「コンプライアンス」を強調するわけだから、そのことに対するオルタナティブな発想を出すためには、こういう文献を読む必要があると考えている。
そんななかで、先日読んだ後藤啓二『企業コンプライアンス』(文春新書)を読んでいると、いろいろ気づかされることがあった。大阪市の今の行財政改革、特に青少年会館条例「廃止」方針のことや、社会教育部門の「解体」というしかない今の動向について、「コンプライアンス」論ははたしてそこまで容認しているのだろうか。この本を読んでいると、そのことがだんだん気になってきたのである。以下、特に大事な論点だと思ったところを引用(黒字)しながら、私のコメント(青字)で書いておきたい。
○まず「耐震強度偽装事件」に関して、同書p.83には次の記述がある。
「再発防止のためには、規制緩和が進み、今後益々競争が激化していくという流れのなかで、関係業界が度を越したコスト削減、あるいは違法の容認により利益を獲得していくという方針がとられないよう、制度的な対策を講じる必要がある。官と民の役割分担についても、その業務の性質に応じ、合理的に決定する必要がある。何でもかんでも民間に行わせることがよいわけではないのである。」(傍線部は引用者、以下同じ)
この引用のとおり、「コンプライアンス」論は、「民間」が「すべてよい」とは考えていない。法令違反を繰り返す、法の網の目をくぐって道義上問題のある行為を行う「民間」については、「官」が規制をすべきだと考えるのである。この点、大阪市当局はどう考えるのか?
○次に、p.128には、こんな記述がある。
「コンプライアンスについて、法令に違反しないということのみならず、企業が自主的に定めた倫理に従って行動すること、あるいは法令の趣旨・目的を理解して、それに沿って活動すること、さらに広くは、企業の道義的・社会的責任を果たしていくという活動というように法令の遵守にとどまらないもの解釈しなければならない。」
今日、出張から自宅に戻ってきて毎日新聞夕刊を見たら、社会教育施設として法的には大阪市教委所管の博物館等を、市長部局である「ゆとりとみどり振興局」に移すことを大阪市が検討中という記事が出ていて、なおかつ、毎日新聞には「脱法」という言葉まで使われていた。このような行為は、たとえ法解釈上いろんなつじつまは合わせうるとしても、上記引用部分にある「コンプライアンス」の基本精神とは大きく異なるのではないか。大阪市当局は、社会教育関係の諸法令の理念や、社会教育に対する大阪市としての道義的・社会的責任をどう考えているのであろうか。これについては、同様のことが青少年会館条例「廃止」方針についてもいえるが。
○それから、CSR(企業の社会的責任・貢献)について、p.143では次のことも言われている。
「CSRは、現在、一種のブームのような捉え方をされているが、CSRの取組みに当たっては、事業の選定と実施方法について慎重な判断が必要である。一度はじめた社会貢献活動について、業績の悪化、経営者の交代等により、途中で止めることは企業の誠実性に関わることとなり、それほど容易でない。」
「コンプライアンス」論の趣旨から考えても、たとえ大阪市が財政難にあるとかいっても、「一度はじめた事業」を「途中で止めること」には、「市の行政当局としての誠実性」が問われることになりはしないのだろうか。そして、青少年会館条例「廃止」方針というのは、「コンプライアンス」論の趣旨から見ても問題が多いのではないか。
まぁ、こんな具合である。それこそ、今、大阪市の行財政改革を進めている人々は、市職員に対して「コンプライアンス」を求めているが、最もそれが必要なのは上層部であったり、あるいは、その上層部にアドバイスをしている人々ではないのか、といいたくなるのである。