今日は青少年会館条例「廃止」の問題を少し離れた話題を先に2つ書き込みましたが、これも同じです。ただし、大阪市の市政改革にかかわるテーマであることは、先の2つと同じです。
さて、大阪市の市政改革のキーパーソンともいえるある人が、その市政改革プランに関連して「平成の払い下げ」という言葉を連呼しています。これはおそらく、先の「タケノコ生活」の話ではありませんが、例えば大阪市が持っている財産のうちで民間に売却できるものを売ったり、あるいは、大阪市の行っている事業のなかで民間(これはたぶん、企業もしくはNPOなどだと思いますが)にゆだねることが適当なものはそっちにゆだねる、ということを考えているのでしょう。
ですが、「払い下げ」という言葉を聞いて、「そういえば、こんなこともあったな~」と、高校日本史のある授業の内容を思い出しました。1881(明治14)年におきた、北海道開拓使の「官有物払い下げ事件」です。以下、私の手元にある『角川日本史辞典(第二版)』(角川書店、1974年)から、「開拓使官有物払下げ事件」の項目を引用しておきます。
<以下、『角川日本史辞典(第二版)』からの引用>
かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん 開拓使官有物払下げ事件
1881(明治14)北海道開拓使がその官有物を民間に払下げようとした時に、世論の反対を受けて取りやめた事件。明治維新後、政府は北海道開拓に1400万円を投じたが、10年計画の満期にあたって、開拓長官黒田清隆は、これを38万円余で、同郷(薩摩)の五代友厚らの関西貿易商会に無利息30か年賦で払い下げようとした。これに対して、参議大隈重信や民間の自由民権派から激しい抗議がおこり、伊藤博文ら政府首脳は払下げを取り消すと同時に、自由民権はを孤立させ弾圧すべく、大隈ら政府部内の反対派を罷免する明治14年の政変を断行、同時に国会開設詔勅を発布した。
<引用おわり>
これを読んで、どう思いますか? 私などは「いわゆる官有物件等の払い下げって、過去の歴史上、自分たちの有力支持者への新たな利権誘導の方法だったのかな」なんてことを思ってしまいますね。たぶん、そうならないように、今の市政改革を推進している人々は、「平成の払い下げ」は「入札制度」などルールに則って、ということを考えているのかもしれませんがね。しかし、過去の公共事業の「入札」にだって「談合」などもあったわけですから、はたして、改革推進派の思っているとおりにいくのかどうか・・・・?