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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

内閣府の「青少年育成施策大綱」

2006-10-17 18:50:52 | 学問

今日はちらちらと、大学での授業の必要もあって、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)の出している「青少年育成施策大綱」(2003年12月)を、内閣府ホームページから読んでいた。そのなかに、次のような文章があった。

あとで書くように、国の青少年施策としても「人権尊重の精神」の育成、「特に困難を抱える青少年支援」が重点課題であるとされている。少なくとも、大阪市の社会教育・生涯学習分野、特に青少年会館でのこの数年間の諸実践は、この重点課題に沿った方向性で行ってきたことを、いったい、どのくらいの人が知っているのだろうか。

<以下、内閣府ホームページからの引用>

3 重点課題

 自立、責任、連帯、寛容などの人間性を涵養し、人権尊重の精神や他者と共生していく上で何が求められ何が許されないかという規範意識を身に付けることは、社会的存在としての人間が備えるべき基本である。成長の過程でこの基本が自ずと備わるよう、青少年育成施策は配慮されなければならない。本大綱においては、青少年育成施策を、おおむね30歳未満の者を対象として各年齢期に応じて推進するが、社会的自立の遅れと不適応の増加という今日的状況にかんがみ、全年齢期を通じて今後特に重点的に取り組む課題を次のとおり設定する。(中略)

(2)特に困難を抱える青少年の支援
 非行等の社会的不適応を起こしやすい状況にあるなど、特に困難を抱える青少年に対して、その環境や条件が改善されるよう、特別の支援を行うものとする。
 医療、福祉、教育の専門家による適切な助言指導を充実するとともに、低所得・ひとり親家庭への就労支援、社会保障給付等を行う。特に、青少年が教育を通じた職業への展望をもてるよう、条件や環境に恵まれない青少年も義務教育の間に基礎的学力を習得できるよう支援する。
 支援に当たっては、個人や個々の家庭への差別意識を生じさせないよう十分留意する。(後略)

こういうことが、国の「青少年育成施策大綱」で言われていることを、青少年会館「廃止」方針を決めた大阪市役所上層部はわかっているのだろうか? おそらく、市教委や市役所の実務担当者ほどには、上層部はわかっていないだろう。

もしも本当にわかっていたら、この国の重点課題でもある「特に困難を抱える青少年の支援」と「人権尊重の精神」の育成ということについて、それを先取りしたような取り組みをしていた公的機関のひとつが、市内12ヶ所の青少年会館であることにすぐに気づくからだ。

また、この「困難を抱える青少年支援」を今後、大阪市においてさらに一層拡充していくのであれば、青少年会館「廃止」というのは、その国の目指すべき青少年施策の方向性に「逆行」するというということ自体、すぐに気づくはずである。

多くの人が、マスメディアの伝える「」施策見なおしということにばかり目を向けて気づかないが、今、青少年会館に対して出している「廃止」方針というのは、「」施策見直しのレベルを越えて、こういう国の施策にすら「逆行」する営みなのである。

まずは、一度<「」施策見なおし>という、すでにできあがった枠組みを抜け出して、こういう「青少年施策」という観点から、今回の市長の打ち出した方針を見つめなおす、そういう時期にきているのではなかろうか。


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プラカード事件

2006-10-17 04:16:36 | いま・むかし

最近起こった学校での「いじめ」事件に教員がかかわっていたとか、いなかったとか。そんなことがマスメディアで取り上げられています。

ですが、大阪市内の公立小学校でも敗戦後のある時期まで、被差別出身の子どもに対して、今でいえば「教員による子どもいじめ」に近いようなことが行われていたこと。このことは、いわゆる解放教育にかかわる人々や、子どもの人権擁護活動にかかわる人々ですら、だんだん記憶が「風化」してきているのではないでしょうか。

それこそ、学校で「給食代を忘れた子」「宿題を忘れた子」「PTA会費を忘れた子」など、大きな板のプラカードをつくって、朝から一日、それを忘れた子の首にぶら下げて生活させることが、一時期、大阪市内のある小学校で「みせしめ」のように行われていました。

当時は給食代やPTA会費も払えないほどの生活苦のなかで、家に帰っても勉強もできるような状態ではない、という子どもたちが、被差別には多数いました。そんななかで、学校の教員たちも一握りの良心的な人々を除き、多くの人々の傾向として、学校外での子どもの生活実態を把握し、そこから子どもたちの学校現場での様子を理解しようとはしなかったようです。こういう状況のなかで、ある学校の一部の教員たちの間から、ただ目の前の忘れ物等の状況のひどさだけを取り上げ、プラカードをぶらさげて生活させたりする人々も出てきたのではないでしょうか。

そして、そのような子どもに対する理不尽な取り組みをやめさせるよう、くりかえし大阪市内の各学校や大阪市教育委員会、大阪市役所に働きかけていったのが、当時の大阪市内の解放同盟と、その子どもの保護者たちだったのです。

そういうかつて被差別の子どもたちに学校がしてきたことを、今、学校における「いじめ」問題、「教員による子どもへの理不尽なしうち」等、いわゆる「子どもの人権」問題に関心のある人々は、もっと知っていく必要があるのではないでしょうか。

そして、そういう過去の学校関係者の過ちを含めて、事実をきちんと伝える責任が、解放教育や人権教育の関係者、子どもの人権擁護にかかわる活動の関係者にあることは、あらためていうまでもありません。


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