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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「改革」「改悪」「解体」のちがい。

2006-10-08 12:25:39 | 国際・政治

この間の大阪市政改革や、青少年会館の廃止等の一連の「」施策見直しの動きついて、このブログや別のブログで発言していて、気づいたことがあります。

それは、やたらとこの間、大阪市側からマスメディアを通じて「改革」「改革」という言葉が連発されて、なおかつ、その「改革」が何かプラスの価値を持つようにもてはやされていますが、その「改革」の中身が全く問われていないということ。今回は、ここの部分を問題にしてみます。

「改革」という言葉の連発。これもひとつの「言葉の政治」あるいは「メディアを駆使した政治(メディア・ポリティクス)」といえばいいのかもしれません。

でも、この市役所側が「改革」という言葉を連発する部分を裏返してみていけば、要するに自分たち市役所上層部や、それにつながっているアドバイザーたちこそ「改革」派で、これに反対する市職員の労働組合や解放運動こそ「抵抗勢力だ」という図式を作って、そこにすべての物事を流し込もうという、そういう市役所上層部側の戦略が見えるんですよね。

そして、「中身」を問題にせず、わかりやすい「図式」だけを問題にすれば、この図式はかなり有効なように一見見えます。

しかし、市役所上層部とアドバイザーたちの間で何事もひそかに案を練って、先にマスコミ発表をして市民世論をつくり、市議会や市役所内部での検討、地域住民や関係団体との交渉を後回しにするという、この一連の大阪市政改革で使われている手法。この手法って、大阪市民と、その市民の代表者で構成される市議会を、徹底的に「バカにしている」という見方もできるんですよね。

そして、もしも一般市民には、我々の言う「改革」の中身などわからないというような、まるで市民をバカにしたような発想で、大阪市役所の上層部とアドバイザーたちが動いているのだとすると、これはとんでもない話です。そんな市役所上層部とアドバイザーに対して、できるだけ多くの人々が「監視」の目を向けることが今は必要です。

それから、あらためていうまでもなく、「改革」と「改悪」と「解体」、この3つの言葉の意味はぜんぜんちがいます。

「改革」というのは、少なくとも今のレベルよりもいろんな物事がよくなっていく方向を目指している場合に使うことでしょう。

しかし、今の大阪市政改革を見ている限り、例えばこれまでも何度もこのブログ上でものを言ってきましたが、今までなんとかやりくりしながらキープしてきた生活保障や教育分野など、住民サービス面での行政の取り組みの全体水準を、今までよりも後退させる方向で動いているわけで、これは「改悪」とか「解体」というしかない。

そして、その住民サービス面での行政の取り組みの全体水準を後退させる、いわば「改悪」とか「解体」というしかないものを、大阪市政の「改革」という名でごまかしているという風に見れば、このような改革案に到底、納得のできないという人々の存在は「まさに一理ある」ということになるでしょう。

そういう、今の大阪市政「改革」を「改悪」あるいは市政の「解体」という風に見れば、なぜ市職員の労働組合や解放運動の関係者が、ここへ来て市政「改革」に反対の意志表示をしているのかがわかるはずです。

もっといえば、大阪市の行政当局が「恥も外聞もなく」、これまで維持してきた住民サービスを切り捨て、住民の諸権利保障の水準を後退させれば、赤字財政体質の大阪市政の「改革」は簡単にできます。そういう自分の仕事を、「改革屋」といって喜んでいるブレーンもいますね、大阪市政には。

しかし、これは住民側から見れば、住民サービスの大幅後退で諸権利保障の水準低下ですから、「改悪」としか言わざるをえないし、手厚い住民サービスの体系を「解体」しただけともいえるのです。

こういう「恥も外聞もない」営みを、「一生懸命行政改革に取り組んでいる」ともてはやしているのは、住民生活の実態を見ず、財政上のバランスシートだけを見ている人々や、市役所側から流される「都合のいい情報」だけを見ている人だからできうることではないのでしょうかね。

このような次第で、今、大阪市役所側が上から、メディア戦略を駆使して降ろしてくる諸「改革」案が、本当に住民サービスを向上させることにつながるのか。それとも、単に今までの市政を「解体」させ、より住民サービスを低水準に導く「改悪」なのか。そこを見分けるだけの、冷静な議論が、今こそ大阪市議会や大阪市民に求められている時期はありません。

と同時に、マスメディアの関係者も、大阪市役所側の出してくる諸「改革」案が、実は「解体」であったり「改悪」でしかない場合には、徹底した取材によりその問題点を明らかにしてほしい。また、今後も引き続き、その「改革」案に異論を唱える人々への取材は欠かさないようにしてほしいです。

そして、来週早々に出てくるかもしれない、大阪市役所側の「」施策見直しなどに関する方針に対して、どういう人々がこれを「改革」と呼ぶか、「改悪」「解体」と呼ぶのか。そこに私は注目したいと思います。少なくとも、私は「改悪」「解体」のプランが出てきた場合は、今までと同様その中身を問題にして、このブログ上で徹底的に批判をする構えです。


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