今日はテレビ観戦でした。
宮崎亮の試合は、判定云々ということは抜きにして、こういう試合をする宮崎は
もう見たくない、ということに尽きます。
やはりこの階級、どう考えても無理でした。
とにかく、一発当てるごとに一息ぶんだけ動きが止まり、次の手がなく、足がない。
打ったあと、当てたあとに止まるものだから、当然、ビクトル・ラバナレス風に、
スタンスがずれても体を回してパワーを乗せ、色んな角度から打てる
ヘスス・シルベストレのパンチをかなりもらっていました。
宮崎はワンツー、右ストレート、左フックの好打が目を引きましたが、追撃の手が止まり、
お返しをもらってポイントを相殺されるという繰り返しに見えましたが、判定は2-0で宮崎でした。
しかし上記したように、判定どうこうとはもう言いたくありません。
この内容で負けたシルベストレの立場を含めた、公平な目線でないことは承知の上です。
もうこれ以上、そもそも最初から無理のあった105ポンド級での疲弊、消耗を抱え、
打たれずともいいパンチを打たれ、打てるはずのパンチが打てず、
それでも懸命に、天与のセンス、タイミングを披露してカウンターを決めても
僅かに本来の力感がなく、キレが足りず、倒せずに反撃をもらうという、
宮崎亮のボクサーとしての存在を摩耗させるような試合は見たくもない、というだけです。
思えばミニマム級での世界戦という企図は、井岡一翔がローマン・ゴンサレス戦を回避したのと同じく、
極めてビジネス色の濃い「経営判断」によるものだったと思えます。
仮にも「世界」タイトルマッチを開催、興行し、それに所属選手を出すようなジムが、
まともに、普通に、世界王者を招聘して挑戦させるために追わねばならぬ負担を回避するために、
あれやこれやと理屈をつけ、ご都合を押し通し、そのしわ寄せを、本来ならフライ級に上げていても
不思議のないような体格の選手に押し付ける。
その挙句に、好不調の波こそあれ、好調時にはそれこそ井岡一翔の堅実を打ち消すほどに
強烈なインパクトを残してきた異形の天才が、今日のような試合を闘っていることを、
普通の気持ちで見ていられるほど、図太くはなれないのです。
さすがに今日の試合で、ミニマムは最後なんだそうですが、昨年末から三試合に渡って
105ポンド級への減量と試合を重ねた宮崎亮の心技体、全てにおいて今後が心配です。
慌てて大きな試合など組まず、調整試合を挟むなどして、慎重にキャリアを構築していってもらいたいものです。
才能ある選手というものは、ファンにとってはかけがえのない、貴重な存在であり、
それと比べれば、所属ジムなどは、あえて言うなら、どこであっても関係ないものなのですから。
前の試合よりはましだったかもしれませんが、あんなに頻繁に動きが止まり、当てても返され、の繰り返しになる宮崎の姿は、見ていて苦痛でした。この三試合で、彼が取り返しのつかない何かを失ってはいないか、今後を見るのもまた怖いような気持ちでいます。昨年末からの井岡陣営への懐疑の気持ちは、今、最大限に膨らんで暴発寸前で、今後に関しても楽観はできない感じですね。
井岡については別記事上げました。内容と結果は良かったですが、この試合をどういう定義で見るかで、全然話が違ってくる、そういう違和感について書きました。
もう1試合はミニマム級でラクマンにボディで倒されたクワンタイの時点で勝敗は見えてました。妙に当たり障りのない井岡君のつまらないインタビューは何か赤坂局に口止めされたゆえでしょうね。つまらなくなりました。