ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

弓弦羽神社

2012年01月16日 | 今日この頃

                阪急・御影・弓弦羽神社(ゆずるはじんじゃ)
  

1月15日(日)
弓弦羽神社に「泉山御流・平成壬辰初会」と言う「お香を聞く会」に参加して
来ました。初めてではありません。何年か前に以前所属していた会が、催しに
取り入れると言う時、下見に行ったことがあります。その時は「ビギナーズラック」
で正解でした。本会の時は、風邪で熱を出して、欠席しましたから、今日が2度目
となります。

干支1回り半も年の差のお友達のお誘いを受けていきました。彼女は「香道」
の名も頂くほどのベテランですが、今は、家職のお仕事の方が忙しく、お稽古
は休んでおられるようで、今日は私達と一緒のお客様の立場での参加のようで
した。

ご近所のご夫婦の方、娘さんとそのお友達、そして私達(とし子さんと私)と
言う参加でした。「今日は7人一緒にすべての行動をともにしましょうね」と
彼女は言いました。「7人?こりゃ春から縁起の良い数字だこと!」と思いま
した。

弓弦羽神社:いざなみのみこと、ことさかのおのみこと、はやたまのおの尊、
      お三方を合わせる根本熊野三所大神をお祭りしてあります。

お印:「八咫烏(やたがらす)」=神武東征の時、神武天皇の下に使わされ、
熊野の国から大和の国への道案内をした烏。聞き香の後に頂いた、お薄茶碗
の模様が、確か「八咫烏」の模様だったと思います。

時間になりますまで、会場の隣のお部屋で、初めての人のための簡単な説明
がありました。勿論私達も受けました。何しろ、小さいとはいえ「火」を扱うので
すから、十分手さばきに注意するようにと教えられました。そして「香」が載せて
ある場所から灰の方に「香」が転んだ場合は、小さい声で「『走りました』と言え
ば、係りのものが参ります。」と言われました。「縁起の悪い、『落ちた』とは言
わないこと「初めての方は2度の茶碗回しは省略してもかまいません」とも言わ
れました。「香」では全てに『手渡し』は禁止だそうです。

お部屋に通され着席しました。立礼と言うのでしょうか、かがむ感じの低い椅
子が用意されていました。座ることに慣れていない若い人、加齢のための足の
不具合の方のためのように感じましたが、私はやはり、ビシッと正座でお教
えを受けたかったと思いました。

書くためのちいさなお道具が重ねて運ばれて来ました。まずはお盆から五段に
積み上げられたもの全てを盆より取り、自分のものとして、一番下の小箱を残
して、上の部分は元の盆に返します。左右の小箱を、順番に下からとっていき
ます。そして、答えを書くべき小さな紙もその時手元に受け取ります。

手元に残った箱の中には、小さなすずり(かな文字用位の)が入っていて、そ
の隣に筆ペンが入っていました。昔はここにに水滴やら筆が入っていたのでし
ょう。

焚かれた「香」が廻ってきます。右前に置かれたものを右手で上から、掴むよ
うに取り、左手に乗せる、ここで2回廻すのですが、私は廻さず。左の親指を
器の縁に掛け、右手を追いかぶせるようにして、3回聞いて、「香」を覚えて
おき、隣の人に廻す時、「香」の名を伝える。今日の場合これを3回繰り返し
ます。




次に3回廻ってきた「香」の中の1種が再び廻ってきて、それが何番目のもの
と同じであるかを当てるのです。私の場合、2度目に廻ってきた「香の香り」
が好きだったが(好き嫌いは関係ないのですが)、1度目の「香」が部屋の中
に馥郁と香るのを感じたために、その時点で不安になりました。

自分の思った香りの名を内に記し、表には自分の名を(男性は漢字一文字、女
性はかな二文字)記します。その集計が出来る間、お床の置物の説明を受けた。

掛け軸は、今年の歌会初めの御題が「岸」だったのにあわせて「富士に美保の
松原」。置物は今日の「香」の名に因んで、「福」:子沢山を意味するので、
青磁の支那っ子の香炉、「禄」はお金をあらわすので千両が活けられて、「寿」
は長寿をあらわす福禄寿さん。

「『寿』はすでに頂かれている方も多いようで…」年寄りが多いということだ
ろうと察し、長寿のトップに限りなく近い私は、思わず笑ってしまいました。

出席者に抽選で小物が賞品?として渡されました。新しい年の初めにふさわしい、
優雅な一日は終わりました。

 
  一寸寂しいけれど「とんど焼き」 火のそばで、身体を温めました  「無病息災」をいただけるとか?

鳥居の手前では、大きな鍋が二つ炊かれていました。今日は「小正月」ですから
きっと「小豆粥」の振る舞いだろうと思いました。

そうそう女の子の「お宮参り」もありましたよ。我友の孫娘、心葉ちゃんもま
もなくお宮参りだそうです。

この日の約束が、今年初めての私の「お約束の日」でした。だから参加したか
ったのです。約束の反故は免れたいと、39度近い熱の頭でも考えていました。
その日までには絶対直す。そして約束を守りたいと思いました。

新しい事を覚えたり、経験したりすることほど楽しいことはありません。この
約束が守れたことで、今年も楽しい経験が一杯あるような気がします。

さあ!未だ完治はしていない風邪を治して、ニュー・イヤー・コンサートを楽
しみますよ!! 
                            (1770回)
 

 
これはお薄の前に頂いたお菓子(丹頂鶴と松葉)です。会場では撮影禁止ということで写せませんで
したが、友達が、同じものをお土産にくださったので、家に帰ってから写したのです         
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花の鎖

2012年01月13日 | 読みました

        「サンシュユの赤い実」     尼崎・大井戸公園     (11-12-27)


今年になって、初めて一人で外出しました。と言っても唱歌の学校に行ったの
ですが…。寝込んでいる間に合同練習が3回ありました。宝塚の切符が当たっ
ていたのに、行けなくて無駄にしてしまいました。

練習には行けませんでしたが、テープを聞いていたお陰で大丈夫でしたが、や
っぱり、とても疲れました。歌うと言うことは運動量も凄いな~と思いました。

冷えた身体を温める為に、熱いお風呂に飛び込みました。そして、冷えた身体
を温めてやりました。お水を貰った花のように気力体力が回復してくるのが分
かりました。

後、合同練習は、オケ合わせを入れても2.3回しかありません。風邪がぶり返
さないように注意して本番を楽しみながら、頑張りたいと思います。


        花の鎖     湊かなえ

湊さんの頭の中はどうなっているのでしょうね?作家になる数年前まではOL
だったのでしょう? 良くこれだけ色々と違った形の筋書きの小説が書けるも
のだと感心しています。

この本は二組の親子三代が離れ、交わって織り成す物語なんですけれど、章
によって、親世代の話であったり、子供世代の話であったりするのですが、
初めのうちは、同じ時代の二つの男女のお話だと思って読んでいました。

ところが、だんだんと、人のつながりから、親子3代に渡る話であると気づい
ていきます。

題名は女主人公(3代目、孫娘・梨花)が絵が上手で、特にボタニカル画(植
物絵)と、いつも家の中に花がある。同級生に花屋を継いだ男友達がいる。

その花屋から、毎年一度、母(紗月)の元に豪華な花が届けられる。元恋人の
浩一が急性骨髄性白血病になったとき、色々の事情で初めは拒否したドナーに
なって命を助ける。そのお礼として毎年送られてくる花束であった。

母も、祖母も一切梨花には話さなかったが、孫の梨花の代になって、色々のこ
とが分かってくると言うお話。

『母が熱を出して寝込んだとき、誰かを呼んでこようかとした紗月に「お母さん
は一人で大丈夫だから。寝込んだから誰かに助けてもらえるなんて、体が覚え
てしまったら、一生起き上がれないわ」それを聞くと、自分も他人に頼っては
いけないような気がした。一度頼ると、一生一人では何も出来なくなってしまう。
そう自分に強く言い聞かせた。一人でできないことなど何も無い。無理だと思
ってもがんばって乗り越えれば、その次同じ状態になっても、今度は簡単に対
処できる』

上の文章を読んだ時、私は母を思い出した。母も私の為に頑張っていた。そん
な母の姿を見て私も頑張る事を覚えたのだな~と思った。


                      神戸・サンチカのお正月の花
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初風邪?

2012年01月12日 | 今日この頃

          「カトレア」   宇治市植物公園     (11-10-20)






4日間テレビも見なければ新聞も読まずに、唯々眠りつけた。勿論深い眠り
ではない。その間ず~っと夢を見続けた。長い夢もあれば、短い夢もある、ど
ちらかと言うと、心が病んでいる夢である。

7日の土曜日、「血圧の薬を貰いに行く日」だった。連休だし、喉と鼻がおか
しかったので、ついでに「風邪薬」も貰ってきた。

先生は私の症状を聞いて、「抗生物質も入れておきます」と言われた。うがい
薬やトローチも入れれば7種類の薬に私は驚いた。「こんなに飲むの!」と心
の内で不満を呟いていた。

しかしこのクスりがあったことが、その後の病状から私を救ったようだ。その
午後2時ごろから、様子がおかしくなってきた。「寝るわ」と布団に入って1時
間も経たない内に熱は39度近くに上った。身体は熱の為に熱いのに、背中
はゾクゾクしているという感じ、は~は~いいながら寝ていた。

トイレに行こうとしたら、腰が引けて立ちあがれなくて、ストンと転んでしま
った。仕方がないので腕の力で起きようとしたが、腕の力もなくて、がくがく
する。がくがく震える腕を少しずつ宥めながら、上半身を起こし、近い柱まで
ハイハイをしていって、立ち上がった。柱から手を離すとくず折れそうになる
ので、ここでも戸惑った。

人間の体だって、こんなに激しく変化するものなのだろうか、数時間前までは
普通に行動していたのに、熱が出ると途端に体の感覚が狂ってしまった。

発熱に対して、私は大らかだった。小さいときからしょっちゅう熱を出して、
お医者さんの往診を受けていたし、大人になってからも40度近い熱は年に何
度か経験していた。だから私は熱が出やすい体質なんだと軽く考えていた。

この度の発熱で、今の私には、発熱とは耐えられないものになりつつある事を
知りました。

火曜日に、フラフラしながらもお医者さんに再びお薬を貰いにいきました。今
度はお父さんの方の先生で、土曜日の午後からの発熱を話しますと、カルテを
見ていた先生が「抗生物質が出ていますね。これが効いて熱が下がったのでし
ょう。でも良く我慢しましたね。」 我慢するもしないも、連休だからお医者さんは
お休みですし、薬を正確に飲むことしか私には出来なかったのです。

39度近い熱は、さすがにダメージが大きかったようです、耳、鼻、体全身が
痛み初め、悲鳴を上げました。8度7度、6度と下がると後はその疲れで昏々
と眠りました。

「ブログ休みだけど、如何したん?」とぽちぽちメールも頂きましたが、パソ
コンに触れる気もありませんでした。折角きてくださったのに空白で、申し訳
ない事をしたと思っております。ごめんなさいね。

こんな辛い体調でしたが、一つ良いことがありました。5日ぶりに新聞を開い
たときのことです。新聞の字が「黒々と目に飛び込んで来ました」あの「白内
障の手術をした翌朝の感激」再び!でした。目が疲れていくのは分かっていま
した。しかしこの4日間、目を使わずに眠り続けてことが、こんなにも読む字
に現れるとは思いませんでした。

私は本が好きだから、何か読んでいますし、パソコンも使います。多くはあり
ませんがテレビも見ます。目に対しての配慮もなく、酷使していたことが分か
りました。  

でも、図書館から予約本が3冊着ていると知らせを受けています。「早く取り
に行って読みたいな~」と思っています。目をあまり使わないのって無理だろ
うな~?


     




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新年の記 (2)

2012年01月06日 | 今日この頃

            神戸・湊川神社(私達は楠公さんと呼びます) の絵馬

三日
例年通り、7時にはテレビの前に座り、箱根駅伝の復路中継を待ちました。出
発から、読売新聞前の勝者のテープカットまでを、うろうろとしながら見るわけ
です。

今年は「東洋大」のブッチギリ優勝だったので、心静かに、ゆったりと見ること
が出来ました。何処に勝たせたいと言うのではないのです、全校に勝たせてあ
げたい思いです。アンカーの斉藤さんその朝に決まったそうですね。変更させら
れた4年生の選手は悔しかったでしょう。キャプテンの柏原さん最後に思い通り
「区間新」が取れてよかったですね。もう見られないのかなと思っていましたが、
実業団に行くようですから、又走りを見れるようです。

10校前後になると熾烈な「シード校争い」で又心が痛みますね。今年1年の
「心の豊かさ」が掛かっているのですものね。

何時頃から「箱根駅伝」を見るようになったのでしょうか? 勿論子供の手が
離れてからだと思いますが、特別の原因は、「主人の初ゴルフ」だと思います。
早朝から出かけますから、一人の時間に見始めたと思います。

主人が「初温泉」に行くと言うので、夜はお節の残りがあるので、私も行くこと
にしました。往きは歩いていきますから、途中に氏神様の八幡神社にお参りし
てから行こうということになりました。

実はお正月に八幡神社にお参りするのは初めてなんです。遠い奈良まで行
くのにね~。3ヶ日は済んでいるのですが、参拝者はボチボチ居られました。
「絵馬」も「おみくじ」も橿原神宮で済ませましたので、お賽銭だけにしました。

何時もは「おみくじ」は引かないのですが、今年の星回りが良くないようなの
で、もし「凶」が出れば、神宮に「不幸」はお預けするつもりで引いてみまし
たら「吉」でしたので、持って帰って来ました。


  尼子騒兵衛さんの「忍たま」の七松小平太で、一躍有名になった尼崎・八幡神社の「絵馬」の色々


主人は週3回通っていますが、私は忘れるほど前に来たきりです。「ジェットバ
ス」等は本当に気持ちがいいのですが、そのためにわざわざ来るのがめんど
くさいと言うのが本音です。サウナは余り何処にも無い頃から神戸レディスサ
ウナ」に通っていましたし「フェイシャル」美顔術も受けていましたから、好き
なほうです。その頃のサウナは夜の蝶が圧倒的で、私のような素人はたまに
しかいませんでした。若かったから、神戸までも通っていたんですね。今は歩
いて15分でもメンドクサイ。レディースサウナのハイビスカスジュースのほん
のりした酸っぱさが懐かしい。

        
                       尼崎・やまとの湯 の門松

四日
主人が、奈良までじ~とすわってのでのドライブはしんどいと言ってお留守番
をするようになったのは80歳の声を聞いた頃からでしょうか。主人にとって
は例年の初詣になる「湊川神社」と「生田神社」にいきました。

JRで神戸駅まで、「昼すませてからいこか?」と言うので、地下街で始めて
のお店で、サンドイッチとコーヒーで済ませました。案外と美味しかったです。
でもこれがトーストされていればモット美味しいのにな~と思いました。

楠公さんは行儀良く2列に並んで参拝待ちです。土の部分が多いのと雨が降
らない為に、からからに乾いているのとで、凄い砂煙にはおおじょうしました。

露天のむき出しの食べ物、砂でジャリジャリしてないかと心配なほどです。知
ってかしらいでか、あまり売れていませんでしたよ。

 
↑  神戸・湊川神社
↓  パピヨン?だと思うのですが  オスは袴を履き メスは帯を結んでいます
   飼い主は神社の門とカレラを写しておりました

 

「オス」「メス」なんて書いたら、犬好きの方に叱られるかも知れませんが、犬は
やっぱり人間の仲間ではないと思っています。過って我家にも「コロ」と言う「メ
ス」が20年居りました。確かに可愛いし、私が悲しい時は、同じように悲しい目
をして、私の頬を伝う涙を優しく舐めてくれました。「人間の言葉が分かるのか?」
と思ったこともありますが「娘」だと思ったことはありません。私が人間扱いしな
いから愛情が足りないとも思いませんし、「コロ」の方もそうは思っていないので
はと思っています。どちらの「犬」が幸せかも分かりませんが、「犬」は「犬」の
ように扱うのがいいのではないかとは思っています。

「新開地に行って見たい」と主人が言うので「テレビで見たけど何にもないよ
!」と言ったのですが、「見たい」と言うので、行ってみました。

地下鉄から地上に出たのですが、本通が何処かも分かりません、丁度年恰好
が私と同じ位の方が通りかかりましたので、聞きました。「昔の新開地本通り
はどちらの方向でしょうか?」「あそこに見えるボーリング場が、昔の『聚楽館』
ですから…」そこまで教えてもらえば、神戸っ子の私には、瞼の奥に、華麗だ
った「聚楽館」が見えてきて、その隣が本通りであったことはすぐ分かりまし
た。「今は何にもありませんよ」と教えられました。何を期待したのかは知りま
せんが、主人も「何にもないところやな~」と納得。

戦前は「何処行くん?」「え~とこえ~とこ聚楽館(しゅうらっかん)」と言ったも
のですし、戦後は映画や芝居小屋があり、温泉もありましたよ。昔ながらにあ
ったのは、焼き鳥の店「八栄亭」だけでした。聚:は遊ぶ、楽しく遊ぶ館は面影
もなし。

そうそう、遊ぶだけではありませんよ、神戸市の中学校の選ばれた人の英語
のスピーチコンテストもありましたよ。懐かしい思い出です。





元町通りまで地下鉄に乗り、そこから三宮の生田さん目指して歩きました。募
金箱があったので覗きますと、さすが、コスモポリタント・シティ神戸の募金
箱には色んな国の紙幣が入っていました。



       生田神社に「絵馬」はありませんでした その代わり派手な色使いです
       私はここの氏子で、名前もここで付けてもらったと聞いています




歩きすぎて、足の付け根が痛いと言うので、サンチカでお茶して帰って来ました。

例年通り、初詣が出来ました。
主人は「辰年生まれの年男」私は「喜寿」のおめでたい年を恙無く過ごせます
ようにと祈りながら、我家に向かいました。

五日
ブログを始める日で、少し緊張しながら、書き進めました。

そろそろ、年末年始の疲れが出てきたようで、風邪気味のようでもあり、首や
肩、腕、指先までが何となく痛重いです。マッサージをしてもらったら気持ち
良いだろうな~と思います。歩きすぎて、足もギコギコするようです。

六日
今日は月参りの日で、お坊さんを待って静かにしていました。疲れがピークの
ようです。今夜は早寝します。

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新年の記 (1)

2012年01月05日 | 今日この頃

          今年から奈良県出身の「藤本静宏」さんの絵馬に代わりました。
            「上村淳之」さんの干支の絵が一巡したからだそうです


             あけましておめでとうございます

        楽しいお正月をお過ごしになられたことと思います

           本年もどうぞよろしくお願いいたします



     ↑  橿原神宮の買って来た「絵馬」   ↓  我家の土鈴の「辰」


元日
何時もの通り5時に目覚めた。新聞が広告と、付録でずっしりと重い。「元旦
から体操あるのかしら?」と考えながらページを繰っている間に、その時間は
とっくに過ぎていた。

し~んとして、物音が無い部屋…。でも確実に家族がいる。皆夜更かしをして、
今は夢の中…。人の気配もないけれど、人は居る、自分ひとりで新聞を読んで
いる、そんな時間が私は大好き! 今年も、そんな好きな時間が始まった。
感謝の元旦でした。

今日はブランチで十一時に「お屠蘇」を頂、孫娘には待ちに待った「お年玉」
を手にする時間です。

結局、少ない目少ない目と思いながらも量が多かった「お節」作ってしまいま
した。考えるとテーブルが大きすぎるのだと思う。テーブルの大きさに合わせ
ようとすると如何しても品数が増える。一つの量が、今の倍ぐらいの時は卓上
は結構お皿で埋まったが、今は量が少ないために、空白が目に付く。

皆年を重ねて、食べる量も減っている。これ以上造る量を減らすのは難しいか
な?かまぼこ類も、半分の量のものがあるものはそれを買っているけれど、そ
れでもあまってしまう。紅白のかまぼこも、「小袖」と言う半量の分がなくな
っている。

来年はやっぱり、半分ぐらいは買おうかな?と、実行できない結論に落ち着く。
「未だ364日あるからゆっくり考えるわ!」


2日
奈良の橿原神宮に家族で初詣に行く。何故奈良まで? 1時間半も掛けて?
そもそもの始まりは「大きな絵馬」を見たいと言う私の希望からでした。姑を
亡くした翌年に、私は運転免許を取りました。40歳半ばだったと思います。
息子が取得したのに刺激されて、「私も!」と奮起しました。

そうするとあちこち行きたくなりました。その内の一つが、主人と二人、橿原
へのドライブ初詣となったわけです。2人から、だんだん家族が増えていきま
した。

箱根駅伝のテレビを見ながら行きます。朝遅く家を出ますと、渋滞に巻き込ま
れて3時間以上掛かった事もありましたが、近年は心得て9時には家を出ます。
往きはすいすいですが、帰りが、大阪市内に入る車で如何しても渋滞に巻き込
まれますが、私はグーグーと寝ています。

夜は「スキヤキ」と決まっていますから、昼は軽く外食します。「何処行く?」
と聞かれて私は「くらずし!」と即答しました。テレビでカプセルに覆われた
寿司を見ていましたから…。手で開けることなく蓋が開き、取れると言うのを
経験したかったからです。幸いなことに、帰宅途中、家の近くにお店があるの
です。

一回目寿司取り出しに失敗、蓋が開きません。2度目の挑戦、皿の縁を軽く持ち
上げるとす~と取れました。満足満足!

ネタが小さくて、一寸頼りなかったですが、寿司飯はまあまあでした。味が濃
い目で甘口なのは子供を狙っているのでしょうか?

目の前で好みのものを握ってもらうすし屋に行くことがなければ、結構美味し
いと感じると思います。以前に一度、「回転寿司」の出来立ての頃行った他の
お店の寿司は不味くて、2度と行きたくないと思いましたが、この店ぐらいの
お味なら「虫押さえ」程度に何か食べたい時なら、入っても良いかな~、と思
いました。

しかしなんだか私にすれば「ゲテモノ」と思えるメニューには首を傾げますが、
こういうお店でないと、そんなお寿司は食べられないのですから、経験の為に
食べればよかったかな~と後悔しています。「デザートのケーキ」が廻ってき
たのにはギャフンです。

お正月ということもあり、お客さんが多くて、廻ってくるのが空が多いので、
画面にタッチして注文する「注文寿司」に切り替えました。注文品は赤い台に
蓋なしで廻ってきます。近づいてくるとピーピーという音が聞こえてきます。


             ↑  「すし」はカプセルの中に入って廻ってきます  
     ↓  お皿を少し持ち上げて手前に引くとカプセルが開き「すし」が取れます


   左:お客さんが多くて廻ってくるのが空ばかり   右:個人注文は赤い台に載ってきます


息子一家は2泊して、「スキヤキ」を堪能して帰宅しました。さ~、明日から
が本当の私のお正月です。
                        (1764回)


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