ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (108回)

2010年06月19日 | 思い出話
             平成15年11月20日
                結願の翌々日


          距離:5K  森本旅館 … 鳴門ドイツ館 … 第1番札所 霊山寺

翌朝、小雨が降っていました。宿を立つ時、なんと高野山のお坊様がお見送り
に玄関まで出てきてくださいました。遍路最後の宿、そして最後の朝になんと
ありがたいことでしょう。このめぐり合わせに驚きと共に喜びもありました。
お互いに合掌をしてお別れしました。

宿の前の第5番札所 地蔵寺に入ってみました。2年前、この門の前には、托
鉢のお坊さんが居て、私が次の第6番はどちらに曲がるのか?とまよって、何
気なく振り返ると、杖で行くべき方向を教えていただいた、アノお寺でした。
その時は再び此処を訪れるとは思っても居ませんでした。

いよいよ今日が遍路最後の日、やはり一抹の寂しさがありました。最終地に向
かって「さぁ!行こか…」と歩き出しました。

今日の距離は5Kです。昨日の強行軍が今日の余裕をもたらしたと主人の弁。
私はそれなら「鳴門市ドイツ館」に行きたいと思っていました。2年前歩き始め
た時、高台に白い建物が見えていて、「何?」と思っただけでドイツ館とは知り
ませんでしたが…。立ち寄ってみたいと思ったのですが、遍路第1日目だった
ので、あきらめて通り過ぎました。「昨日頑張ったから、行く時間はあるで~」
と主人は鼻高々です。





「鳴門市ドイツ館」は坂東俘虜(ばんどうふりょ)収容所『BANDO』の跡地である。日本
軍隊では戦争で捕らえられた状態を『捕虜』といい、捕虜になった敵国で拘束されてい
る状態を『俘虜』と言うそうです。

第一次世界大戦が始まると日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にあ
る青島を攻撃した。敗れたドイツ兵は約5千人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送
られたが、そのうち四国の徳島・丸亀・松山に約千人が1917~1920年の3年間を
坂東俘虜収容所で過ごしました。坂東俘虜収容所長の松江豊寿(まつえとよひさ:後
に第9代若松市長)は会津の生まれで「ドイツ兵も国のために戦ったのだから」と言う
広い心で接した。

収容所内では文化事業や商業活動も盛んにおこなわれた。ここの有名なエピソードは
『ベートーベンの交響楽9番』がドイツ兵による「徳島オーケストラ」で日本で始めて『第
九』が演奏された始めての地だということです。

私は年末になり、『第九』の季節になると何時も、『第九』が初めて演奏されたのは「何
処?」と思っていました。その疑問が思わぬ場所で「真相」を得たのです。ここ「坂東俘
虜収容所」が初めて演奏された土地だったのです。

        
                      尼崎のベートーベン

また今、日本で実施されている『保険の機構」もこの「坂東俘虜収容所」で実施された
ものを下敷きにしたものだそうです。収容所にはレストランやボーリング場など80件
もの店小屋が立ち並び、テニスや海水浴場、演劇などの活動、そして広報誌の発行が
行われ、開放的で活気にあふれておりました。

ドイツ兵の持っていた菓子つくりや農産物の栽培加工、建設設計などの技術は地域の
人々に伝授され、住民は「ドイツさん」と呼び、心通う交流が行われていました。

ドイツ兵は収容所の近くに11の橋(ドイツ橋)をつくり、今でも2つ残っています。



この橋はドイツ橋をコンクリートで作り直したものです。故郷、ドイツに帰ってからも、彼
らは「坂東俘虜収容所」を偲んで「バンドー会」を作って集まり、徳島の思い出を語り合
っているそうです。






ドイツ館の1階には売店があって、ドイツらしい質実剛健と言った感じの木製
の色んな玩具が売れれていました。お菓子類も豊富に売られていました。此
処が最後なのでクッキー類を3種類ばかり買いました。もう買えないからと、少
しずつ食べました。ところが、神戸のサンチカの輸入品店にどっさりと山積み…
あ~ぁ重いのに徳島から提げて来て損したよ! 自分が大都会の住民である
ことを忘れていたよ!

俘虜所に関する色々なものが展示されているのですが(宿舎のベッドとか)撮
影禁止だったのでしょうか、1枚も写真が無くて説明がしにくいのですが、上
記のような日常生活の模様(菓子作り、保険の書類等)も色々展示されていた
と思います。

隣に「鳴門賀川豊彦記念館』があったので入りました。両館に入ると入場料が
安くなると言うミミッチイ考えからですが。

賀川豊彦が『世界の三偉人』の一人だとは知りませんでした。「カガワ、ガン
ジー、シュヴァイツー」と言う1939年ニューヨークで発売された本が展示され
ていました。

展示物の一つに奥さんの卒業証書があって、氏名の右側に『平民」と書かれ
ていたのには驚きました。「賀川豊彦記念館」は神戸にもあるそうです。










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