ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

最後の同期会

2015年05月19日 | 一寸そこまで

    「カレン草」 実は 「蚊連草」と書くのです 蚊が好むとか よく増えます   (15―5―5)






5月16日(土)中学の最後の同期会がありました。今年中に、80歳を迎える年
齢になりますし、区切りもいいので、ということです。だんだん人のお世話するの
も、大変な年代ですしね~。

ただ、私たちのクラスは、「これからも続けよう」「クラス以外の人でも、声をかけ
たい人があれば、声かけもしよう」「美味しいものを食べて、語り合おう」と決めま
した。

私は時々、会場を見渡しました、「もう今日が最後の人々なんだな~」今までなら、
1年たったら又お目に掛かれると思っていましたが、本当に今日が最後なんだ…、
って。

一番遠方、横浜からのTさん、会の中で私たちは一番縁の深いお付き合いではな
いでしょうか。元町で「神戸幼稚園」でご一緒でしたし、家も近かったので、仲良く
していただいていました。

元町の家が焼けて、集団疎開から帰ってきて、平野に転校しました、そこで又、彼
女と同じ小学校でした。放課後はいつも彼女の家で一緒に遊んでいました。

中学も一緒でしたし、3年のとき、校内弁論大会で同点だったのか、二人が、地区
大会に出場しました。そこで、彼女は優勝し、県大会にと進みました。優勝はしな
かったのですが、優秀賞をもらわれたと聞いています。

この2.3回は100歳のお母さまのお世話で欠席でした。今回出席だったので、とて
も嬉しかったです。「お母さまは預けて?」「2月に亡くなったので、出てこれたの
よ」

深い縁があっても、今は個々の付き合いは年賀状ぐらいですから、今思えば彼女
とも、もう会うことは無いんだな~と思います。健康に気をつけて、お母さまと同じ
く、100歳までも、お元気で長生きしてくださいと祈るしかありません。



このお酒のラベルなんですけれど、左の歌詞はわが母校のもので、最後に「湊
健児」という文字がありますでしょう、酒店を営む、クラスメートがラベルを作って
貼ってきてくださったものです。

この校歌も、今は、少子化の波に呑まれて、合併され、中学自体がなくなってい
ますから、校歌も変わっているでしょうし、歌われるのも、今回が最後かもしれ
ません。少なくとも2回生としては、最後でした。

欠席者の近状報告を見ましても、療養中、入院中、足腰が痛くて長距離は無理、
一人で外出不可能、奥様の介護等々寂しいものばかりが多く、元気だけれどス
ケジュールが合わないという人は少数でした。

現状の分かっている80名の方に葉書を出して、40名の出席者ですから、お世
話のし甲斐が合ったと思います。ありがたい集まりでした。


ただ嫌なことが一つありました。会も半ばを過ぎた頃、一人の女性が入って来ま
した。彼女は「会には出ないよ!」と「葉書も出してもらわなくてもいい」と幹事さ
んに言っていたそうです。

やっぱりみんなの顔を見たくなってこられたという気持ちは分かります。しかし、
合同写真を撮るとき、幹事さんが「写真に入らないで!」といわれました。理由
は「会費を払わないから」だそうです。私は唖然としました。幹事さんが拒否さ
れるのは当たり前だと思いました。注意を受けるまで、堂々と写ろうと並んでい
たこと自体私には驚きです。

「会費」は「食事代」だけではありません。皆さんと会合を持つためのあらゆる
費用も含まれていると思います。だから彼女は「食事も食べないし、葉書も断
っているから、会費は要らない」という了見かも知れませんが、それは間違っ
た考えだと思います。

どのような会でも、会場に入るときは会費を払ってこそ入れるのだと思います。

思えば、昭和52年(1977年)私とHさんの言い出しっぺで、多くの方の、お手
伝いを頂、38年間続いて来れました。一抹の寂しさを感じながらも、良くぞここ
まで、続けていただいたと、心から感謝しておりますが、若いならいざ知らず、
80年も世渡りしてきた彼女の貧しい心は、最後の会の汚点として心に残りました。
残念です。





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