ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

四国遍路の道

2014年11月27日 | テレビから

   手前と奥の木 煮ているけど違うのですよね 初め「モミの木」と思ったけど?   (14―11―20)


    

    



今日は銀行や郵便局に色々の手続きをしに行ってきました。だんだん、いろ
んなことが億劫になって来ました。もう少し頑張らなければ、と思っているの
ですが。


NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、「弘法大師(空海)」と「遍路」の話
を取り上げていました。1400キロの遍路道をあるいた私は「何故、空海が、四
国を歩いたのか?」に興味を持ちましたので、楽しみに観ました。実は「遍路=
弘法大師」という考えはあっても、空海が「何故遍路ををしたのか?」ということ
は考えもしなかったのです。

空海は当時、日本で、ただ一つの大学で学んでいた。そこは朝廷の役員の養成
所だった。勉強は「お径」や「漢文」を覚えて、試験を受け、受からなければ
退学という規則だった。

「どうすれば暗記して、試験に合格できるのか」と空海は悩んだ。空海の家柄は
同期の仲間内でも最下位の位置にあったから、良い成績を収めなければ、
役員になれなかった。

空海の悩みを見抜いたお坊さんがいた。その人はいった「厳しい大自然の中で
仏の言葉を100万回唱えれば、どんな経典もたちまち覚えられる」と諭した。

空海は大学を休んで、当時は未開の土地であった「四国」に向かう。その時、空
海が歩いた道が、今の「遍路道」だというのです。

空海は都で優美な生活をしたいがために、大学に行き、資格を取ろうとしていた
のであるが、修行に明け暮れるうち、都での華やかな生活がはかないものに思
えてきた。自分のやるべきは人のためになることではないかと思えてきたので
す。

そこで空海は「唐」に留学し「密教」に出会う。帰国後「高野山」に寺をたてる。

はじめは僧侶が「四国」を「弘法の修行の後」を巡っていたが、江戸時代になっ
て、其のうちの一人の坊さんが、「遍路」の本を出した。其の本は爆発的な人気
を得て、一般の人が「遍路に出るようになる。

今でも四国に根付いている「お接待の文化」は彼の教えによるものです。「お遍
路さんに親切にすると、やがてはあなたも、お遍路したと同様のご利益をうける」
という教えです。

私も遍路中、色々の接待を受けました。とてもありがたいことだと、今でも思って
います。これからも、地元の方の「お接待」という暖かい行為が、遍路する人々の
心の支えであり続けていただけたらと思っております。
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