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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

大阪大空襲訴訟

2011年12月07日 | 気にかかる

         「ユリオプスデージー」  今年は良く咲いています   (11-12-6)


昭和20年の大阪大空襲などの被災者と遺族25人が、国は救済措置を取ら
ないまま放置し続けたとして、被災者1人当たり1100万円の国家賠償と謝
罪を求めた集団訴訟の判決が出た。大阪地裁は請求を棄却したが、原告側
は控訴すると言う。

大阪のことは知らなかったが、東京大空襲の被災者が集団訴訟を起こしてい
るのは知っていました。

その時感じたのは、「何を今更!」と言う思いでした。原告は70代、と言う
事は昭和20年には未だ子供でした。前にも書きましたが、本当に苦労した
のは私達の親世代です。一日ですべてを失ったのです。丁度今の東日本
大震災の方と同じです。

一瞬にして家を財産を、家族を失ったのです。震災の方は、全国からのお見
舞いがあり、国から仮設とはいえ住む所も与えられ、補償もされるようです。

しかし空襲と言うのは、失いっぱなしで、誰の援助も無い、それでも必死で生
きてきたのです。自分のことは自分でしなければならなかったのです。

大阪の原告代表の方は空襲で片足をなくされたそうですが、命を落とした方
から見れば、まだまだ幸せだと思います。命があったから、結婚もし、孫も出
来たのです。

原告側の言い分は旧軍人らには戦争被害への補償が行われているのに、一
般市民を対象外としたのは、法の下の平等を定めた憲法違反だというので
す。

昨夜も、この判定が明日出ると言うニュースを見て「勝訴のはずが無い」と話
していました。もし勝訴したら、この25人にだけ支払われるのは、逸れこそ
不平等ですし、そのお金は税金でしょう? 周りが黙っているはずがりません。
我もわれもと申し出たら、どうなりますか?

大阪は3月13日が第1回で8月14日までに8回の大空襲を受けたようです。

我家が焼けたのは大阪から4日遅れの3月17日に大空襲を受けました。神
戸は大小あわせると128回の空襲を受けたようで、死亡者8841名、負傷
者15万人(母もこのうちの一人です)消失した家15万個(我家もそうです)
延べ65万人が家を失ったそうです。人口、面積から換算すれば、当時の5
大都市の中で最悪だったようです。

その神戸が、17年前、またもや大震災に見舞われて、死者6434名、負
傷者43792名、全壊・半壊あわせて24万8180棟、被災所帯46万所
帯でした。

神戸の人は頑張りました。今の神戸を見て、震災があったとは思えません。
家族を失った心の傷は癒えることは無いでしょうが…。

命が助かっても、個別の仮設移住で、知人もなく、孤独死なさった方も多いで
す。私の親戚にも、性格的に孤独死とはいえ無いと思いますが、我家を失っ
たまま、仮設住宅で亡くなった者もおります。私より15歳ほど年上ですから、
神戸大空襲の時は25歳ぐらいです。だから、「大空襲から比べれば、家はな
くしたが、炊き出しはあるし、住む所も与えられてありがたい」と言っていま
したね。

話が逸れましたが、大阪大空襲の原告の方も控訴等おやめになったほうが
良い。どんなに残酷な運命でも、持って生まれた自分の運命には逆らえま
せん。東京大空襲の原告の方も、未だ判決は出ていないようですが、取り
下げて、前向きに生きられたほうがいいと思います。
                           (1750回)




     「星兎耳」   挿し芽をして子供を沢山つくりました     (11-12-1)
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