ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

湊中学最後の同窓会

2011年02月28日 | 一寸そこまで



62年前に卒業した中学が、少子化の影響もあり、合併することになり、新しい中学
は相手校の方になり、私達の母校は売られるらしい。後に何がたつのか跡形もな
くなるのはやはり寂しい。私達は2回生です。61回生(今年62回生が最後)まで
ですから、今日は後期高齢者から高校一年生まで800余名がそろったわけです。

私達は6組420人の卒業生でしたが、去年はたった85人だったようです。35年
頃は800人に届こうかと言う卒業生だったようです。と言うことは終戦時に生まれ
たということになります。そう考えると、世の中が豊か過ぎて、自分達もその輪の中
にいたいという気持ちも強く、その為に子どもを持ちたがらない少子化なのかな~
と考えます。

あの食べるものも、衣類も、何も無い時代に子どもはどんどん生まれていたんです
ね。あのころの親は戦火の中生き延びたことで、未来に不安はなく、丈夫に育ちさ
えばいい、今どん底だから、後は登るしかないと頑張ったのだろうか? それにし
てもそのころは男は戦争でなくなり、男女の数はアンバランスだったはず。この事
を考えれば、人口は自然の摂理で、「少子化,少子化」と騒がなくとも、時が来れ
ば自然に増えるのでは無いかとも考えます。

日本の、領土、労働人口等はいったい何人居れば適正と考えての計算なんでしょ
うか? 私なんか単純に考えれば、狭い日本にひしめくより、すくなくゆったり暮
らせばいいのでは無いか、労働人口にしてもロボットや機械の発達によって、数は
要らないだろうと、豊かな生活があるような気がするのですが…



私達2期生は出席したのは22名でした。420人居た仲間の1/3ぐらいは亡
くなり、消息のわからない人が、やはり1/3。同期会では150名前後の人に連絡
を取りますが、家族の介護、本人の体調不良等、出席者は50名をきります。後
期高齢者の私達ですから、仕方の無い事だと思いますが、やっぱり寂しいです。


                思い出話か? 友の笑顔が弾けます

      座席票  テーブルに10人ほど座っています


私達のお隣のテーブルが現役先生のグループでした。とても若くて、頼りなさげに
見えるのですが、私達はもっと若い先生にも習っていたのです。新制中学が出来
て、先生が足りなくなり、大学生のアルバイト先生、学生服の詰襟先生にも習った
のです。物の無い次代でしたから、軍服?の先生も居られました。


↑ 湊中学最後の校長先生は女性でした   ↓   この「ゴスペルグループ」の中に卒業生がいるん
ですって。「大阪スクールオブミュージック専門学校」の生徒だそうです。



楽しい時間は瞬く間に済みました。これが最後なんだ~と言う感傷に浸るまもなく、
800人の方が家路を急ぐのですから、交通手段が満員にならないようにと、行き
は一緒だった珠ちゃんとも別れて一人さっさと帰宅しました。



コメント
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